“旅立ちのプレリュード(エレンの理由)”

 森を抜け、モニカを護り従うエレン達一行がポドールイに辿り着いた頃にはすっかり陽が傾いていた。更に追い討ちを掛ける様に雪が降り始め、今度は寒さという魔物が襲って来る。
 密やかに積もりゆく雪を踏み締めながら、一行は町を見下ろす高台にあるレオニード城を目指す。その間をうろつく狼共を追い払いながら、ようやく城の入口まで辿り着くと、城全体から滲み出る“妖気”の様なものを感じ、皆立ち止まった。
 ――何だろう……
 中でも、エレンは奇妙なまでの既視感にも捕われていた。更に、自分がここに来るのが早過ぎたのでは無いかという不安感。
 「……無気味な所ですわね」
 エレンの背後でモニカが言った。それにトーマスが応える。
 「レオニード伯は魔族の一員ですから当然かもしれません。ですが、仮にも聖王様の信を得ていた人物ですから、変に怖がる事も無いと思いますよ。……エレン?」
 「……っ、何?」不意に呼ばれて、エレンは慌てて聞き返した。
 「どうかしたのか?」そんなエレンにトーマスは何か懸念事でもあるのか、心配そうな顔をして聞いた。「何か、睨む様に見てたけど」
 しかし、エレンは首を振った。
 「ううん、何でも無い」
 そして話題を変える様に先を促した。「そんな事より、早いとこ中に入ろう。このままじゃカゼひくわ」
 「それがいい、それがいいよ」強力にユリアンが同意した。「こんなトコに長々といたら、ホントにカゼひく」
 そのセリフにトーマスは苦笑し、サラは頷き、モニカはくすくす笑いを洩らした。何となく、少しばかりほぐれた気分になった所で一行は門をくぐった。

 中に入ると、ほの暗い空間がそこにあった。蝋燭の灯された燭台の並ぶ広間の奥、その少し高くなった所に、豪奢な椅子に座った波打つ紅い長い髪の男の姿があった。一行は彼の前まで進み、更にモニカが1歩前に進み出て挨拶をする。
 「初めまして、伯爵。ロアーヌ侯ミカエルの妹、モニカでございます」
 「ようこそモニカ姫。噂通り、いや、噂以上に美しい方だ。もしかすると、あなたの祖先のヒルダ以上かも知れぬな」
 本気とも冗談とも付かない言葉にモニカはとりあえず一礼し、それから疑問を口にした。
 「ひとつお聞かせ下さいませ。どうして、私達が参るのをご存じだったのでしょうか?」
 その問いに、レオニードは笑みを浮かべた。
 「ポドールイは山あいの町、それ故、何の楽しみもありません。特にこの季節は雪に閉ざされ元から少ない旅行者も更に減り、それでつい外の出来事が気になって色々と噂話を集めてしまうのですよ」
 「では、今回兄の身に降りかかった事件も聞いておいででしょう? 伯爵の御援助を、何卒よしなに」
 「分かっております」
 レオニードは頷きはしたが、その先の言葉で急き込み気味なモニカをやんわりと抑えた。
 「しかし、ミカエル候には私の援助など必要ではありませんよ。モニカ姫は、何も心配なさらずにこの城で寛いで戴きたい」
 そしてそう言い終わると同時に、何処からともなく青白い炎が現れた。
 「それでは、これにお部屋まで案内させましょう」
 その言葉と同時に炎は右側の階段へと移動する。だが一行がそれに続こうとした時、レオニードは思い出した様に再び口を開いた。
 「そう、1つだけ御注意申し上げておきましょう。この城はあちこち危険な所が御座います。お気を付け下さい、何せ吸血鬼の城ですからな」
 一行はそれぞれ顔を見合わせた。互いに互いの不安な顔が映る。ただエレンだけが、レオニードを凝視していた。そしてこの中での年長者として、トーマスが礼を言う。
 「御忠告、有難う御座います」
 今度こそ炎が導く様に階段を下り、一行はそれについて行く。しかしエレンだけは階段の手前で立ち止まり、再びレオニードの方へと振り返った。
 そこにあるのは、初めてであるにも拘らず見覚えのある世界だった。
 レオニードが、面白そうに笑っていた。
 「どうかなされたかな?」
 無表情に、エレンは返した。
 「前に、会った事無いかしら?」
 笑みを浮かべたまま、レオニードは答えた。
 「もしそうだとしても、思い出さぬ方が良いのでは無いかな? 吸血鬼と会った事があるとは、お前達人間にとって余り良い思い出とは言い難いと思うが」
 「エレン?」
 降りて来ないエレンを気にしてか、廊下への入口からトーマスが顔を出した。
 「……何でも無い」
 先に視線を外したのはエレンの方だった。そう返事するとエレンは踵を返し、階段を下りた。
 レオニードの膝の上で、黒猫が1つ鳴き声を上げた。


 その晩、エレンは悪夢にうなされた。
 それは朽ち果てた城塞を、まだ幼い自分が怪物共に追われて逃げ回ると言うものだった。もう1人、よく知っている“誰か”も一緒にいるのだが、どういう訳か彼女にはそれが誰なのか分からなかった。
 やがてテラスに追い詰められ、その“誰か”が月術で怪物共を一掃するのが、その“誰か”もまた……

 「……エレン!!」
 外界からの呼び掛けでエレンは目を覚ました。目を開けると、トーマスが自分の顔を覗き込んでいた。
 横たわったまままばたきをする。目に入る見覚えの無い部屋、トーマスが何故そこにいるのか、それら全ての状況が呑み込めない。暫しの逡巡の後、ここが自分の家では無い事を思い出した。
 エレンは体を起こした。
 「どうしたんだ? 随分うなされてたぞ」
 エレンは首を振った。
 「――何だろう」寒気を感じる。かなり寝汗をかいたらしい。「……何か、子供の頃の夢を見た気がする」
 それを聞いて、トーマスは顎に手を当てた。
 「うなされる程の事って、何かあったか?」
 「分かんない」再びエレンは首を振った。「でも、そんな気がする」
 沈黙が降りる。不安を否定出来ないのは、この無気味な城の所為かもしれない。
 それでもやはり、先に口を開いたのはエレンの方だった。
 「……そういえば、ユリアンはどうしたの? 確か2人でやってたんじゃなかった?」
 「ああ、2時間交代でやる事にしたんだ。その方が明日に響かないし」
 4人が床に就いてすぐ、別に隣の部屋を与えられていたモニカがやはり1人では怖いと言ってこの部屋に来た為、トーマスの提案でユリアンと2人で見張りをする事になったのだった。しかしそれでもベッドは2つ空く訳で、この城に入る前にトーマス自身が言った様に無闇に怖がる必要も無い筈であり、故に無理に2人同時に起きている事も無い。
 「やっぱそれ、あたしもやるわ」少し考えてから、エレンは言った。「その方がもっと楽になるでしょ」
 「……流石に、それはマズいと思うぞ」
 トーマスは眉を顰めた。男の自分やユリアンはともかく、女のエレンにやらせるのは危険過ぎた。それも腕っぷしの問題では無い。ここが“男性の”吸血鬼の城であると言うのが問題なのだ。
 しかしエレンはそんな事さえ気に留めなかった。
 「あたしなら大丈夫よ」妙に自信たっぷりにエレンは言った。「それにヘタに今また眠ろうとしても、悪夢の続き見そうだしさ」
 そしてエレンはベッドから降りるとトーマスが引っ掛けていた毛布を剥ぎ取り、暖炉の前の椅子へ向かう。椅子の上にはトーマスが読みかけていた本があり、エレンはそれを投げ渡した。それを受け取りながら、問答無用のエレンの行動にトーマスはため息をついた。こうなると、説得が効かないからだ。
 「……仕方無いな、でも、何かあったらすぐ起こせよ」
 「分かってるって。じゃ、おやすみ」
 苦笑しながら、仕方無しにトーマスはベッドに潜った。エレンはそれを確認すると、背もたれに体を預けた。
 見上げる天井は高く、暖炉の炎に照らされた自分の影が映し出されていた。それを眺めながら、エレンは悪夢の中身を思い出していた。
 夢であるにも拘らず、五感に訴える感覚は酷く生々しかった。ホコリの臭い、ひんやりとした空気の感触、眼を刺す様な満月の光、そして現れた怪物共の鼻をつく臭い――それら全てがまるで実際に体験したかの様だった。だが、エレンの記憶にはあの場所そのものが無かった。
 エレンがシノンを、何よりロアーヌ地方を離れた事自体数える程しか無い。そして野山を駆け回っていた頃から今に至るまでの記憶を引っ掻き回しても、あの様な場所を見付けたと言う覚えは無い。大体、そこに一緒にいた人物だけが分からない事自体がおかしかった。これまでにシノンを離れた時の同行者はトーマスやユリアンだったり母親や父親だったりと、行く度に違ってはいるが間違っても1人という事は無い。後はせいぜい子供の頃に1・2回程、冒険者の叔父とキャンプがてらシノンの森のちょっと奥の方へ行った事があるぐらいで――…………
 ――――あれ?
 はたと、そこでエレンはある事に思い当たった。冒険者のおじさん――古い記憶の中でよく覚えている出来事にはこの叔父の事が多いのに、何時頃からか登場していない事に今更ながら気が付いたのだ。
 ――じゃあ何で、このおじさんはいなくなったんだろう?
 昔はいた。確かにいた。エレンはこの叔父が大好きで、余りの懐き様に“立場が無い”と言っては父親が肩を竦めていたのを覚えている。だが、今はいない。あれ程懐いていたにも拘らず、何故自分は彼がいなくなった時期も理由も覚えていないのだろう?
 エレンは顔を上げた。猫の鳴き声が聞こえた気がしたからだ。それに誘われる様にエレンは立ち上がると扉へと歩き、大きな音を立てない様に気をつけながら扉を開けた。
 そこにいたのは、黒猫を足下にまとわりつかせたレオニードだった。
 鳴き声は、その猫のものだった。
 エレンは、己の迂闊さに心の中で舌打ちした。
 レオニードが紅い唇を開く。
 しかしそこから流れ出た言葉は、エレンが予想したものとはまるで違っていた。
 「……そろそろ、封印が解け始めた様だな」
 かなり不意を突かれたが、それでもエレンはこれだけ言った。
 「――どういう事?」
 「多くは言えぬ。ある者との約束が有るのでな」レオニードは言った。「だが、何れお前は知る事になる。お前の精神を護る為、我々がお前にした事を」
 「何よそれ、あたしに何したの!?」
 掴み掛からんばかりの剣幕でエレンは言う。しかしレオニードは淡々と応えた。
 「それも教えられない。全てはお前の記憶の向こう側に有る。だがもし自然と封印が解けた所で、今のお前ではまた同じ事を繰り返しかねない。……それでも、知りたいか?」
 「当たり前じゃ無い、知らない処で何かされて操られるなんてゴメンだわ!」
 挑む様にエレンは言ったがしかし、レオニードは少し間を置いて吹き出す様な仕種を見せた。――おかしくてつい、とでも言う様に。
 意外さよりも怒りの方が先に来たエレンは、当然の様に抗議した。
 「ちょっと何よ、何でそこで笑うのよ!?」
 「いや……昔お前と似た様な事を言った者がいてな、それを思い出しただけだ」それから、また少しだけ口を閉じた。「……だから、人間は面白い」
 「……それで、どうなの? 教えてくれるの?」半ば呆れながら、エレンは聞いた。
 しかし顔を上げたレオニードは、既に“あの”意味有りげな笑みを浮かべていた。
 「残念だが、今すぐには無理だ――今言った訳でな。今はまだ時期では無い。だがお前が私が認められる程に強くなれば、全てを教えてやろう」
 「まさか、またその“封印”をするつもり?」
 固い声で身構えるエレンに、レオニードは首を振った。
 「無理だ。これ以上封印を重ねるのは危険だ。お前に壊れられては困ると言うのに、その為に壊してしまっては意味が無いからな。お前はまだ、これからの為に必要だからな」
 「え?」
 最後の言葉の意味を計りかね、エレンはレオニードを凝視した。しかしレオニードはあの笑みを浮かべるだけだった。そして、
 「どうせお前は旅に出る事になる。だから、今はゆっくり休むがいい。お前がここにいる限り、私は誰にも手を出さない」
 とだけ言い残し、猫を抱え溶ける様に闇に消えた。
 エレンは、しばらくそこに立ち尽くしていた。



[ No,199 sword様 ]

-コメント-
#この話は以前“Don't Look Back”というタイトルで出した本の、レオニード城での部分のみを改めて打ち直したものです。しかし“長くなり過ぎる”と言う事で後に続くロアーヌの方を削り落としてしまった為、何だか尻切れなカンジになってしまいました……(;_;
#とはいえ抜き書きする部分がコレと言う事で方向性がはっきりしていた分、再構成作業は結構楽しかったです。……尤も、どうしてもキャラに片寄りがあr(汗
#反省点:…やっぱり、どうしてもオリキャラの影が……一応元の文より抑え目にしたんだけど(TwT;