・・・の誇り



 ロアーヌ王宮。
 ゴドウィン卿の反乱も水泡に帰し、またシノン村に住む四人の男女のおかげで守るべき姫に何事もなかったことに、安心を覚えた。
 カタリナは王宮庭園内に姿を見せた。
 彼女がそこに行くことは、あまりない。ロアーヌ侯ミカエルの妹、モニカ姫の侍女というは表向き。実は彼女を守る騎士同然なのだ。
 だから、返す返すも彼女が庭園に姿を見せることは少ない。自分でも、
(来たのは数年振りかしら?)
 と思ったほどなのだ。
 それがどうして、今日に限って庭園に行こうと思ったのだろう。
 それは、やはり一大事が終着したからに他ならない。

 モニカが、ゴドウィン卿の企みを盗み聞いてしまったときが始まりだったのだ。いやそれより前、卿がロアーヌ侯の位を狙った時から始まっていたという方が正しい。
 モニカは、花のように美しいと民から慕われている。しかし同時に強い精神の持ち主であることを、おそらくもういない彼女とロアーヌ侯の両親の他に、カタリナだけが知っているだろう。
 兄だからといって、ミカエルが知っているだろうか。
 それはともかくとして、モニカはカタリナさえをハラハラさせるほど、その精神は強かった。敬愛する兄のお荷物にはなりたくないと、密かにカタリナから剣を学び、馬術さえも操れる。
 その馬術を使って、兄の元までゴドウィン卿の反乱を伝えに走った。その間、カタリナはモニカの身代わりを立てた。そして待ったのだ。時が満ちるのを。
 反乱を起こした卿によって、牢屋へ入れられたが、鍵を隠しておいたおかげですぐに出られた。王宮を占拠したモンスターたちを倒しながら外に出ようとすると――。
 入り口に、ロアーヌ侯ミカエルともう一人《トルネード》と異名を持つハリードがいた。何故そのような英雄とミカエルが一緒にいるのかが気になったが、カタリナは彼らと共に王宮の玉座に座る悪魔を倒した。それで一応は決着した。したように思われた。

(…卿は、何故モンスターと契約していた?)
 それがミカエル、そしてカタリナをも悩ませる事実。
 モニカは、ミカエルに卿の反乱を伝えた後で、彼女を陣営に送ったシノン村の青年たちに護衛されて、ポドールイへ一時逃れたという。
 しかし帰ってきた彼女を見るなり、カタリナは何やら、姫が少し頼もしくなったような感じを覚えた。
(…嬉しいといえば嬉しい。でも、心から喜べるだろうか)
 女として言えば、モニカの侍女としていえば喜ばしいことだ。しかし彼女の騎士としていえば?
 モニカの騎士として存在している。その存在でなくなれば、ロアーヌ王宮にいていいものなのか?
(……)
 そこでかぶりを振った。
(少し感傷が過ぎるようね)
 所詮は叶わない想いだ。
 相手はロアーヌを治める者。
 その妹を守れる立場にいることで、満足しなければ。
 この想いは誰にも伝えてはならない。モニカにでさえも。彼女に知られれば、相手に知られることは必至だから――。

「――カタリナ」
 声がしたので、彼女は顔を上げた。それが無視できない声音だったから。
「ミ、ミカエル様?」
 長い金髪を持つ男が、姿を見せた。間違いない、ミカエルだ。しかし。
 ロアーヌの謁見室にいるはずの彼が、何故ここにいるのだろう。
「ここにいたのか、カタリナ」
「カ、カタリナと、呼んでくださいますな…」
 わずかに顔をミカエルから逸らし、低い声で呟いた。熱くなる頬が、自分を女だと教えてくれる。
 モニカの騎士として、男だと思いこむようにして務めていたのが、崩れる。
「どうした? カタリナらしくもない」
 ははと、ミカエルが笑い声を上げた。
「な、何故、ミカエル様がこちらにいらっしゃるのですか」
「そなたに……、お前に会いたかった」
「…っ!」
 ご冗談を…と一笑に付したら、どんなによいだろうか。
 ミカエルが近付いてくる。呆気なく、その腕に体を閉じ込められてしまった。
「ミ…カエル…様……」
「お前は知っているか、私はお前を慕っていたということを」
「そ…のような…、畏れ多い……」
 肩に彼の腕がきしむ。
 後から思い返しても、何故冷静になることができなかったのだろうか。何にのぼせ上がっていたのだろうか。
 カタリナは、ミカエルの肩に手をかけて、完全に体を預ける気だった。
「…カタリナ…、マスカレイドを預けたこと、それ自体がわたしの信頼の証なのだ」
「…嬉しい…」
「それは、今ここに?」
「はい…こちらに」
 カタリナは、魔力を秘めると大剣に変わる、小剣のマスカレイドを大腿のあたりに隠してある。ミカエルから体を離して、マスカレイドを取り上げた。
 美しい装飾の小剣を取り上げると、ミカエルがさっと手に取った。
「…ミカエル様?」
 不敵な笑みを浮かべて、ミカエルはじりじりと後ずさっていく。一抹の不安が、彼女の心に小石を落とす。それは次々に波紋を作る。
「ふふふ……」
「ミカエル様!」
「ふ、はははははは……」
「お、お前……はっ、何者! ミカエル様の姿を借りた、おまえは……っ」
「ロアーヌ侯ミカエルの信を得る、カタリナ。そなたはやはり女であったのだな……」
「き…っ、貴様……っ」
 カタリナはぎり…と歯噛みした。眉頭も目尻も吊り上げ、ミカエルの姿に扮した無礼な者を睨み据える。
 尊敬する主人の姿を模したものへの憤り。
 そんなものに騙された自分への怒り。
 何よりも――。
 モニカにさえも明かさない、心の秘密を知って、それを利用した者への憎しみ。
 それは騎士としてではなく、人間、女としての哀しみでもあった。
「…このマスカレイド…、聖王遺物の一つか。これであの御方も喜ばれることであろう!」
 偽ミカエルが、その扮装を破った。それは神王教徒のローブ。マスカレイド――、いや聖王遺物を狙っているのは、神王教団なのか。
「貴様……っ、待て!」
 叫んでも遅い。
 あの無礼な教徒は、身を翻すと同時にその姿を消していた。
 涙などはない。哀しみと同時に、自分の感情を利用された憤りが、沸沸と胸に湧いてくる。まるで泉が湧くように。
「…許すものか…。許すものか!」
 カタリナは胸から、短剣を取り出した。長い髪をまとめて、鞘を払ったその剣でぶつりと髪を切り落とした。その髪の一房を手にして、驚く侍女たちの間を通りながら、部屋に戻ると、すぐさま旅の衣裳に着替えて、ロアーヌ侯の謁見室に向かった。

   *

「ミカエル様。マスカレイドを盗まれてしまいました。わたくしの不徳といたしますところ、この命と引き換えなければならないことは承知の上、しかし今一度、愚かなわたくしにマスカレイドを取り戻すチャンスを与えてくださいませ」
 髪を切り落とした姿を見て、ミカエルの側にいたモニカが驚愕の色を隠さなかった。
 そしてカタリナが次第を述べたことに対して、ミカエルもさすがに驚きを隠せないらしかった。その常に冷たい表情にはわずかに動揺が見え隠れしていた。
「…そうか」
 ふうと息を吐いて、
「マスカレイドを奪われた。それは罪も重いもの。本来であれば命と引き換えねばならぬが……、そこまで言うのだ。カタリナ、そなたには奪った者の目星がついているのだな?」
「はい」
「誰だ」
「……神王教団のローブを着ておりました」
 ぴくりとミカエルの眉頭が動いた。
「神王教徒……」
「ミカエル様、マスカレイドを探すこと、お許しください」
「……わかった」
 感情もこめない声をもらすと、モニカが、
「お兄様!」
 とたしなめた。
「カタリナは、わたくしにとってお姉様のような存在。それに、お兄様も……っ、カタリナのことを信頼していらっしゃったではありませんか!」
「モニカ。黙っていなさい。
 ――それからカタリナ、最後に聞きたいことが一つある」
「はい」
「そなたはマスカレイドを奪われたと言う。しかしそなたの腕は、私もよく判っているつもりだ。
 そなたからマスカレイドを奪った教徒は、そんなに鍛錬を積んでいたのか?」
「……そ、れは」
 声がかすれそうになる。
 あなたの姿になって、それで油断をしてしまったとは言えない。誇りにかけても言えない。
「…お許しくださいませ。わたくし個人の問題として、お聞きにならないでください」
「…わかった…。行け」
 カタリナは立ち上がった。一つ頭を下げて、背を向ける。
「――…カタリナ!」
 モニカの声が呼びとめた。
「…モニカ様…」
 妹のように慈しんだ姫君に、カタリナは微笑んだ。
「兄妹、仲良くお過ごしくださいませ…」
「そんな言い方…嫌いよ…」
 モニカの瞳が濡れる。
「帰ってきて……カタリナ」
「――」
 カタリナは、ただ曖昧に微笑んだ。帰ることが出来るのは、いつのことか判らないから。そして遅からず、きっとモニカは何処かへ嫁いでいくことを判っているから。名門貴族の生まれであるカタリナには、わかっているのだから――――。

 ゴドウィン卿の反乱が鎮圧した喜びで、街中が溢れかえるのを掻きわけるように、一人の女騎士はロアーヌから姿を消した。

おわり




[ No,171 弓月綺様 ]