“最後の想い〜sad emotion〜”

 今でも覚えているのは、最初で最後の彼女からの口付け。
 それだけを残して、彼女は行ってしまった。


 エレン、トーマス、ハリード、ユリアン、ノーラが宿命の子であるサラと少年を連れてアビスゲートの向こう側から戻って来てから、世界の東と西を問わずお祭り騒ぎになった。アビスゲートが――そしてその根源の死星が消滅したからだ。
 日々は嵐の様に過ぎ去った。サラと少年は死星の消えた新たな世界の象徴として、何処へ行ってももてはやされた。勿論、エレン達も英雄としてあちこちから声がかかった。
 ノーラの工房は昔以上に繁盛する様になった。ユリアンはロアーヌ侯ミカエルによって男爵として取り立てられ、モニカとの仲も公認状態となった。ハリードはあらゆる士官の誘いを断って――その中には彼の旧友ルードヴィヒからのものもあった――元の傭兵稼業に戻り、そしてトーマスはその名声を最大限に利用して経済界での影響力をより高めた。――だが。
 エレンは1人、シノンに帰った。
 幾ら英雄の1人と言えど、その存在の重要度は妹のサラの方が上である。農場を後継者不在にして放り出す訳には行かず、それを自らの務めとして受け入れたのだった。死星を消滅させるに至るまでのその課程で、最も中心にいて重要な役割を果たしたにも拘らず、だ。
 自由奔放に見えて、意外とエレンは責任感が強い。アビスゲートを閉じようとした事にしても単にサラが関係していたからだけでは無く、1度関わった以上はという気持ちが働いたからだ。だがエレンのそんな部分をも知る近しい者達ですら、やはり驚かずにはいられなかった。
 そしてシノンに戻ってから、エレンがロアーヌ地方を離れる事は殆ど無くなった。用が無い限り出て来る事は無かった。仲間達、英雄達との付き合いも絶っていた。ただ1人、トーマスだけは経営の都合上会う機会はあったが、それでもエレンはロアーヌより遠くに出る事は無く、その上殆ど代理人を通してのものだったので実際に会う事はまず無かった。表舞台に現れようとしなかった。
 人々に記憶から消え失せる事を、望んでいるかの様だった。

 そうして半年が過ぎ、1年が過ぎ、2年が過ぎた。
 人々の生活は以前のものに戻っていた。アビスゲートが無く、凶悪なモンスターもいなくなった事を考えると、前以上のものかもしれない。
 そんな中で、珍しくエレンがピドナに――トーマスの前に現れた。
 「!? エレン、どうして――」
 驚くトーマスに対して、エレンはいつもの調子でさらりと答えた。
 「用があるからに決まってるじゃない」
 「いや、それはそうだけど……」
 「たまにはいいでしょ。それにこっちじゃなきゃ揃えられない品物もあるし」
 「それは分かるけど、その、頭が」
 「うん、切ったよ」
 あっさり頷くエレンのその髪は、ロアーヌを出奔した直後のカタリナ程では無いにしても短くなっており、その所為かポニーテール姿だったあの戦いの頃と比べるとすっかり幼さが抜けた様に見えた。
 「しかし、随分思いきったな」
 「そう? でも短くしてだいぶ経つからなぁ、もう慣れちゃった」
 だが喋り方はそれ程変わっておらず、その髪型の所為か奇妙に中性的な印象を受ける。トーマスとしては何となく、妙な感じだった。
 それからエレンが書類を取り出したので、そこからは仕事の話になった。農場全体の状況、作物の出来、馬の育ち具合、今後の展望、etc。この年は天候も穏やかだったので、このまま行けば今期の黒字は間違い無さそうだった。
 話がまとまった所でトーマスはエレンを食事に誘ったが、あっさり断られた。
 「んー、ゴメン。行ってみたいけど、約束があるし人も待たせてるからムリ」
 「そうか、残念だな」
 「でも少し話すぐらいの時間ならあるよ」エレンは言った。「久し振りに聞きたいんじゃない? シノンの事」
 「それは是非とも聞きたいね」
 苦笑しながらもトーマスは頷く。埋め合わせとしては物足りなさもあるが、エレンがここに来た事だけでも珍しいのだ、これ以上望む訳にもいかないだろう。そしてトーマス自身、もう長い事シノンに帰っていなかった。聞きたい事なら、沢山ある。

 ダグとメイが結婚したよ。へえ、やっぱりそうなったか。

 ルーディがね、やっぱり入院する事になった。何処に? ミュルスのちょっと北の病院。

 セイラに子供が生まれたんだけどさ、また男の子だってレイが泣いてた。あいつの所は、男ばっかりだからなぁ。

 ……おじい様は、どうだ? 相変わらずだよー。毎日見回りしてるもん。トーマスがいないモンだから、今じゃあたしが話相手だよ。……そりゃ、どうも。

 「気になるんならさ、たまには帰ってみれば? 喜ぶよー、きっと」
 ニヤニヤ笑って言うエレンのセリフに、トーマスは腕組みして考えた。
 「喜ぶ、か。何だか想像出来ないな」
 「表に出さないもんね。そういうトコ、トーマスもあるけど」
 そうか? と、トーマスが聞く。
 そうだよ。と、エレンが頷く。
 「ま、あたしもあんまり人の事言えないけどね」
 「なあ、エレン」
 トーマスはテーブル越しに手を延ばし、エレンの手を掴んだ。エレンはその手に視線を落とす。
 「……トーマス」
 「もう1度、考えてみてくれないか? やっぱりエレンだけなんだ、俺は」
 最後のアビスゲートに向かう直前、トーマスはエレンにそれまでただ1つ言わずに来た自分の想いを告白した。そして戻って来てからは更に突っ込んで、結婚まで申し込んだ。だがエレンはどちらも“ありがとう”と言いはしたが、頷きはしなかった。
 「まだ、諦めてなかったの?」
 「滅多に欲しいものが見付からない分、諦めが悪いんだ」
 困った様にエレンはため息をつく。変わらない、とトーマスは思った。しかし同時に違和感も感じた。
 そして、やはりエレンは首を縦には振らなかった。
 「あたしもトーマスのコト好きだけど、やっぱまだそういうのって考えらんないから。それ、に」
 珍しくエレンが言い淀む。トーマスは更に強い違和感を感じた。そしてその様子からエレンが何かを隠している事に、過去の経験から気が付いた。無意識に、握る手に力が入る。
 「まだ、何かあるのか? それともまさか、俺以外の……」
 しかし、エレンはトーマスの言葉を遮った。
 「そうじゃない。違うのよ、トーマス」
 「じゃあ、何故なんだ?」
 エレンは何かを言おうと口を開いたが、それを呑み込む様に閉じると首を振った。そして立ち上がるとトーマスの隣に立ち、意を決した様に真直ぐに見据え、言った。
 「あたし、南へ行くの。誰も知らない世界を見付けるために」
 トーマスはエレンの言葉の意味を掴み兼ねた。南には妖精が住み、四魔貴族の1人アウナスが護り彼らが2つ目に潰したアビスゲートのあったジャングルが広がるだけで、それ以上のものは無かった筈だからだ。そんなトーマスに、エレンは付け足した。
 「見てなかったかな、全部壊れて、もう1度元に戻ったあの時、星空の中から世界を見れたよね。その時さ、南の方に海が広がってたじゃない? そして、その向こうにも大地が見えなかった?」
 今度はトーマスがエレンの顔を見つめる番だった。ただ驚いて、エレンの方へ身を乗り出す。
 「……本気、なのか?」
 「あたしはいつでも本気だよ。だから今日は、ウチの農場の事を頼みにも来たの。こっちの書類に次の農場主として3人挙げておいたから、トーマスがいいと思う人を指名していいよ」
 「そういう問題じゃない!」
 立ち上がりながら、トーマスは声を荒らげた。しかしそんなトーマスの滅多にない行動にも、エレンは淡々と応じた。
 「もう決めた事だから。だって、その為に準備して来たんだもん」
 「準備と言っても……」
 「トーマスに押し付ける事になるのも分かってる。でも一緒に来てもらうワケにはいかないじゃない。トーマスがいなくなったら、また経済が混乱する。そうなんでしょ?」
 「それは……」
 そうだと頷きかけて、トーマスは今の言葉の意味に気が付いた。エレンは俯き、拳を作った。
 「……そうだよ、あたしだってトーマスには来て欲しい。でも、そういう訳にはいかないから――だから本当は、今日はお別れを言うためにも来たのよ」
 「どうしても行くのか?」
 「そのための2年間だったから」
 静かに、だがきっぱりとエレンは答える。あの戦いの直後からそのつもりで隠遁していたと言う事実に、トーマスは絶句するしか無かった。しかしエレンがその場を離れようとした瞬間、トーマスはその腕を掴んで引き寄せ、抱き締めた。
 「行かせない、と言ったら?」
 「力づくでも行くよ。だってもう気付いちゃったから」身じろぎもせず、エレンは言った。「まだまだ知らない世界があることに。それがある限り、あたしは何処にもとどまれないことに」
 それはエレンの本質に関わる問題だった。風の様に大地を渡りゆくのが本質ならば、ひとつ所に留まる事は自分らしさを奪うだけのものになる。自らを失えば後はただ、壊れて行くだけだ。しかしそれが分かっていても尚、トーマスはエレンを行かせたくなかった。
 「どうすれば……どうしたら、俺の傍にいてくれる?」
 「今のトーマスはトーマス自身が作ってきたものでしょ? それを壊さない限り、ムリ」
 明らかな否定の言葉、それを聞いたトーマスは言葉を返せず、思わず腕を緩めた。瞬間、エレンは体を放してトーマスの鳩尾に一撃喰らわせた。
 「そういうことよ」無表情にエレンは言った。「トーマスが自分を殺せない様に、あたしも自分を殺せない。だから、追い掛けて来ないで。あたしを探さないで。これから先、どうがんばってもあたし達は一緒には歩けないから」
 「エ……エレン……」
 あまりの痛みに体を折りながらも、トーマスはエレンの腕を掴んだ。しかし思い掛けない事に、エレンもトーマスの腕を掴み返した。そしてもう片方の手で襟を掴んで身体を引き寄せると顔を近付け、口付けた。
 ほんの一瞬だった。エレンはすぐに離れると、今度こそ本当に部屋を出て行った。――そのまま床に崩れ落ちたトーマスを残して。


 それからしばらくして、ちょっとしたゴシップが世界中を駆け巡った。
 きっかけはモニカとの婚礼を前にして、ユリアンが失踪した事だった。当然ミカエルは捜索隊を出したのだがしかし、その過程でエレンまでもが行方を晦ましている事も判ったからだ。
 勿論トーマスの所にも捜索隊はやってきた。しかしエレンの向かった先を言える筈も無いし言った処でまともに取り合ってもらえる訳も無く、ましてやユリアンの行方については何も知らないので答え様もなかった。そして世間では2人が駆け落ちしたのだという噂がまことしやかに囁かれた。2人で連れ立って街道を歩いていたとか、実は心中したのではないかというものまで、様々な話が流れた。
 それらを何事もなかったかの様に聞き流しながら、トーマスはエレンが何を選んだのかを考えていた。
 ユリアンだとは、思えなかったし思いたくもなかった。例え幼馴染みであろうともこれだけは譲れなかったし認めたくもなく、何より1度はモニカを選んだだろうという思いがある。
 勿論、エレンが待ち合わせていた人物がユリアンではないかとも思いはした。だが、それでも引っ掛かるのは“そのための2年間”というエレンの言葉だ。今まで全く表には出ずに静かにしていたにも拘らず、計画を実行に移す段階でこんな騒ぎを起すとは考えられない。
 結局エレンは、“自分である事”を選んだのかもしれない。何者にも変えられない、そして代わりのいない自分自身、それを捨てられないが為に。
 何にしても、この先トーマスは呪う事しか出来ないのだ。それは“運命”などというものではなく、エレンの言葉に逆らって追い掛ける事も探す事も出来なかった、同じ様に己を捨て去る事が出来なかった自分を。



[ No,199  Sword様 ]

comment by sword
#“蒼穹の彼方に”以来のRS3本編ネタ、
 しかも同じ(?)ED後ネタでありながらこのネクラさ加減は何でしょう(汗
 その上カップリングネタにも拘らず破綻してるって、何故に?

#基本的にSwordはこういった恋愛感情が絡む話というのはやりません(ギャグは例外)
 自分で書く意義が見い出せないというのが最大の理由なんですが。
 にも拘らず今回こんな話をやったのはネタの方から降って来たってのと、
 登場人物が通常のキャライメージとは違ってたから。
 トーマス、ユリアンはともかく、エレンまで後ろ向きってどういう事だ自分!
 ……まあ、こんな話は多分もうやらないと思うし。つーかやりたくない(キパ
 大体何度打ち込み作業に行き詰まって放置こいた事か……

#エレンがトーマスの後に会いに行った人物については、
 これを読んだ方々の想像にお任せします。
 ついでに実際にそんな相手がいたのかどうかと言う事も(汗
 とりあえず自分に対するツッコミとしては、エレンのパンチを喰らったトーマスは
 その後病院行きにならなかったのかと言う事だったり。

#そして今回もタイトルはパクリでした(ばく
 日本語の方と横文字の方とでそれぞれ違う方々の曲ですがι
 知らない人の方が多そうなので伏せときますかね……