獣と貴族と片思い 〜Why Are You Loving Him?〜
 モニカ姫が泣いているのを、このひとは知っているのだろうか。一見冷ややかなこの兄である皇帝は。兄である以上に国を愁うこのひとは、平然と妹を他国へ嫁に出すことを決定した。
 このひとの守るものは領土と地位と国民の平和…たったひとりの肉親、妹じゃぁない。冷ややかであるが故に、聡く美しく恐ろしいんだ。
 でも俺はこの人を嫌いじゃない。世に類なき存在だ。真似くらいならできるけど、決してなれるものじゃない。堅いんだ、城壁が。何処となく完璧なこのひとは、いったいどの入り口からひとを入れているのだろう。それとも誰も近寄らせはしないのだろうか。
 こんなひとを好きになった、カタリナさんの淋しさが伺える。それでもミカエル様が完璧すぎるようなら、そっちの方が俺は怖い。私利私欲でもない、単に合理性の問題なら、肉親でさえも愛さないこの冷たさは何々だろう。肺の奥が深く凍りつくような鋭さだ。
 だから俺はこの男にはなれないんだ。
 モニカ姫が泣いているのを、このひとは知っているんだろう。
 泣くだけの姫じゃないから、手を貸したんだ。
 今ごろはピドナへ行っているはずだ。

「城内に手引きをした者がいる」
 聡く、鋭く、冷たく若い皇帝。
 このひとを愛したカタリナさんはいったい何処を愛したのだろう。尊敬される王ではあったとしても、愛される男だろうか、このひとは。
「探し出しましょうか」
 俺がミカエル様の顔をうかがうと、逆に鋭く見放された。
「お前には見つけられないだろう」
 気付かれているんだ。
「自分で隠したものを自分で発見できるものか」
 しばらくの沈黙が続いた。俺が何も言えなかったせいもある。そのあとこのひとは俺へこんなことを訊いてきたんだ。
「おまえ、出身は?」
 俺は迷わず首を振った。俺は自分の故郷を知らないんだ。
「北の方に見えるな」
 俺はミカエル様の顔を見た。北方の聖王の国ランスのやや東、ユーステルムという村にかつて昔、ヒルダと言う美しい女性とフェルディナンドという青年が住んでいた。聖王と供に魔貴族と戦ったロアーヌ王家の先祖。北方の民の血がこのひとに流れているのなら、彼とそっくりな俺がそうだとしても不思議ではないけれど。
「恐らくは…」
「なぜそう思う」
 俺は自分自身に訊いてみた。あまり時間をかけてはいけないと思って、直感のままに答えてしまった。
「雪を、見ると落ち着きます」
 雪なんて、嫌なものだ。服も濡れるし、ひどく寒い。多く積もれば不便そのものだ。それでも雪に囲まれて溜息をつくと落ち着くんだ。不便さにむかつきながら、雪を美しいと思いたいんだろう、俺は。
「雪か」
 しかし、このひとには間抜けな台詞に思えたのだろう。少し笑っていた。
 そうして、こんなことを言った。
「おまえは、貴族ではないな」
 確かに、俺は召使を使った記憶もない。腹を空かした記憶はうっすらと残るけれど。
「言え、おまえがモニカの脱国に一役買ったのだろう。いくらユリアンが連れだったとはいえ、誰にも気付かれずにこのロアーヌを抜け出せるものか」
 必ず負けないこの男はそう言って、真顔で笑う。勝てるわけがない。
「…………」
 俺はどんな罰でも受けるつもりで、このひとを見つめていた。でも
「王家、貴族には、平民に理解できない道理がある」
 知ってるよ、お姫様は結婚で外交するってことくらい。俺は貴族にはなれない。好きでもない相手と寝ようなんて考えるのは、獣と王侯貴族くらいだ。貴族や王家なんて、結局は自分の縄張りを守りたい獣と一緒なんだ。
「予想外だったな」
 さも面白そうに、ミカエル様は俺を見た。
「似ているのは、なりだけでもないようだ」
 俺とあんたとが似ているだって?
「お言葉ではありますが…」
 俺はいいかけたが、それは途中で返された。ミカエル様が言ったからだ。
「私が結婚を断るわけにもいくまい。仮にもロアーヌとしての立場がある」
 まさか、それじゃ…
「ミカエル様も、モニカ様を逃がすように…?」
「もう少しユリアンに苦労させてやろうと思ったのだが、あまりにあっさりとロアーヌを出たのでな。お前を怪しんだのだ」
 俺は思った。このひとは欲張りでわがままなんだって。全部やってしまおうって魂胆なんだ、外交も結婚も、他においても何もかも、思い通りにしようっていうんだ。それでやりのけてしまうほどにヤンチャでもあるから、周りがついていけないだけなんだろう。
「おまえのことも、ただ真面目なだけの部下と思っていたが」
 そんな台詞を言いながらコーヒーを飲み干したこのひとを見て、俺はなんとなく、カタリナさんがミカエル様を好きになった理由がわかったんだ。


[ No,195  ランカーク様 ]