The star of Naj

 ゲッシア朝ナジュ王国−

 古くより隆盛を極めたその王朝はその国威を示すかの如く王宮、城下の町並みにいたるまで黄金に彩られていたという。
 それらは無数の奴隷を使役して建造され、中でも王の宮殿や神殿は金銀はおろか、おびただしい数の宝石が惜しみなく天井に壁に床に埋め込まれていた。
 砕いた貴石で描かれたモザイク画。神話の風景と諸王の功績が忠実に時に脚色して描かれる。芸術の粋を極めた神々と聖獣の彫像群が宮殿の外に内にと至る所にそびえ立つ。中で、こぶし大ほどある金剛石の瞳を持つ戦いの女神像が護るは闘技場への道。その先では、王族の若き子息達がその剣技を競うべく御前試合が行われていた。飛び散る汗、打ち合う剣の音、王の御前ゆえ流血は禁じられているものの、腰布のみを身にまとった勇猛なるナジュの男達の美しくも荒々しい剣技に観衆はどよめきと拍手を送る。
 王とて例外ではない。右手にうら若き正妃を、左手に年頃の愛娘をはじめ多くの愛妾を侍らせながら賞賛に手を鳴らしていた。

 この王は歴代でも少ない方で正妃一人に50余人の側室・愛人を娶っていた。子供の数は記録にあるだけでも135人。これも歴代の王の数字に比べれば少ない方である。奇しくも何代か替わった正妃達の間には男子をもうけなかった。故に後継者たる王太子を立てることがなかった。王子は幾らもいたが母親の身分が低い為に立太子にいたらないのだ。
 野心ある権力者たちとしては正妃達が産んだ娘達に食指がのびる。すでに王女達の何人かは降嫁し、実質王位継承者となっている王族もいた。しかしとりわけ男達が欲しがったのは末の王女、若く賢く、王の寵愛を一身に受けて育った、「ナジュで最も価値あるもの」とか「砂漠の蒼き月」などと称賛の言葉に困らぬ絶世の美女であった。
 王はこの娘を溺愛した。本来ならば近親者の結婚も習慣としてあるナジュ王国だからこの娘が正妃として迎えられることもあったのだが、王はこの娘を最後の切り札に温存した。代わり、つい最近正妃となったのはこの王女のすぐ上の姉、王にとっては血のつながった娘である。この正妃との間にはまだ子供はなかった。とはいえ王ももう老いている。にも関わらず自分の娘を正妃として娶ったのは、これ以上対抗勢力を増やさぬようにと謀ったためでもあるのだ。
 といった政治的な講釈は抜きにして、王の周りにずらりと侍る、黄金と色とりどりの宝石や薄絹で着飾った美女達は壮観であった。同席していた諸外国の使者達によってこの光景は滅亡後も語り種にされる。ナジュは近代化の進む時代にあって未だその古めかしい生活習慣を変えずに栄えていた希有な国だったのだ。


 ふと気づくと、退屈そうに自分の膝にもたせかかっていた王女がいつしか体を起きあがらせ試合の成り行きを見守っていた。
「姫よ。何か」
王は娘に尋ねた。
「王よ。あの男は誰?」
と試合の最中にある戦士を指さす。剣をふるう剣士のうち、どちらかを指しているかは王にも明らかであった。
 それは豹のようにしなやかでつややかな肉体を持った青年。試合に出たどの青年よりも美しくまた強く、王でさえ目を留めていたほどだ。後ろに控えていた神官がそっと王に耳打ちする。「あのお方は先王陛下の末の王弟殿下のご長子です。父上の王弟殿下の御母上は先々王の御正妃であられましたので、由緒正しきお血筋の方でございます」つまり王のいとこで、なかなかの家柄の出身だというのだ。ほう、と立派にたくわえられた顎髭を撫でて王は得心した。
「あれは砂漠の猛き疾風」
「美しき褐色の竜巻(トルネード)」
青年を見知っている妾妃達が答えた。王は思わぬところからの返答に少し驚く。さらに神官が耳打ちする。「あのお方はすでにいくつも武功を立てられており、軍や若い方の間では有望な方として…」「よい、よい!朕とて知っておるわ!…名は?」と最後のみ小さい声で尋ねる。王の様子に妾妃達は目配せして笑いをこらえている。ここ何年も王は前線に出ていないので軍にどのような若手がいるかをほとんど把握していなかったのだ。
 依然顔を闘技場に向けたまま、王女は妾妃達の答えに首を横に振った。。
「いいえ皆様。あれは光。神の光。王よ、お喜びを。あれは救い主。神の遣わしたる希望の星。王よ。美しきナジュの主、偉大なる神々の子よ、私はあの方にこの身の全てを捧げたい」
まるで熱に浮かされたように頬をばら色に染め、両の手を結んで胸にあて、ようやく王の方へと振り向いた、孔雀石を細かく砕いた色粉でまぶたを縁取るこの地方独特の化粧を施した娘の黒い瞳は、潤む涙に星を宿していた。
 王女は神事を司る祭司でもありその言葉は神の言葉をうつす。王はこの娘の言葉を預言として、吉兆と捉え大いに満足した。
 王は娘の頭を撫でて笑顔でこう言った。
「二つの輝石に星を見たか。麗しき夜空の月よ。我が愛しき娘・ナジュの最も貴き宝石・ファティーマよ。そなたが望むならば是非もない。それ、そら、トルネードの勝利ぞ。見事であったぞ。ハリード!褒章をとらせよう」
王が片手を上げると相手を見事な突きで封じて勝者となったハリードも含めその場にいた者皆がひれ伏した。ただ一人を除いて。
 それは王の左手に侍っていた愛娘・ファティーマ。
 ファティーマは香炉から立ち上る煙のようにゆらりと立ち上がりひれ伏す人々の間をぬって闘技場へと歩み寄る。
 薄絹がたなびき衣裳に縫い込まれた銀の鈴が歩みを進めるたびに揺れて澄んだ音色を奏でる。
 その場にいる者全てが彼女の姿を見たわけではない。実際にそれを見ることが許されていたのは王のみ。だが人々は鈴の音と衣から匂い立つ香気で、自分の傍らを今過ぎ行くその名の通り月の女神の如きファティーマの姿を容易に想像できる。そしてその薄絹に体を撫でられた者は、得も言われぬ幸福感に満たされるのだ。
 鈴の音が止むと、
「面をあげよ」
王の声で皆が顔を上げる。そしてハリードの方を見て一同溜め息を漏らした。
 皆の視線の先には勝利を得た雄々しき戦士と彼を見つめる天女の如きファティーマ。あたかも神話の一節が甦ったかのような神々しさがそこにあった。
 驚くハリードにファティーマは微笑み、その足下にひれ伏した。その所作で動く空気もジャスミンの香気で彩られる。
「雄々しき黄金の獅子ハリードよ。そなたの比類無き強さと美しさを称え朕はナジュで『最も価値ある宝石』をそなたに与えよう」
 その瞳は極上の黒玻璃
 その唇は炎のごとき紅玉
 その肌は匂い立つ琥珀
 その髪は満天の星々が流れる瑠璃の河
 世界中のありとあらゆる賛辞とそれと同じ数の宝石と黄金を王はファティーマに贈っていた。ファティーマが与えられるということはそれらの、一言で括るにはあまりに莫大な−財をも与えられるということだ。
 たかだか御前試合でこれほどの褒章が出るとは何ごとかとまだ若い青年は狼狽した。しかし王直々の賜を無下に断ることなど不可能だ。
「朕は祭司ファティーマより神の言葉を聞いたり。皆の者、喜ぶがよい。このハリードは神の遣わしたる光の戦士。我がナジュの守り神であるぞ!」
王の言葉に家臣や王族達は皆喜びの声を上げた。ハリードだけが呆然と片膝を立てたままだ。
 ハリードの名を叫び歓喜にわき返る人々の中、ハリードとファティーマ、二人の周りの空気だけが穏やかに流れていた。
「エル・ヌール」
 それは神の言葉だった。神に仕える者のみが口にすることのできる呪(まじな)い。そうそれを言ったのは、ひれ伏していたファティーマであった。
 ファティーマは顔を上げ、ハリードを見て微笑む。
 その微笑みの美しさにハリードは眩暈がした。その身一つが王国中の黄金と宝石をかき集めてもまだ価値あるものと喩えられるも無理はないと思われた。
 ハリードは慌てて視線を彼女よりも低くするのに努めた。
「エル・ヌール」
ファティーマは再びそう言ってハリードの頬にふれた。
「お、おやめください…」
そう言うのがやっとだった。王族とはいえ臣下の身でこの手を振り払うことはできない。つい先ほどまで、触れることさえ望めぬほどの存在であった女性が、いともたやすく自分に触れてくる事態に彼は美しく引き締まった肉体をさらに強ばらせた。
「賤しい身には余りある光栄に存じます」
「賤しいなどと、美しい方」
その声は優しかったが少しの批難も込められていた。
「私にはあなたの光が見える。何よりも尊く何にも侵されぬもの。神に選ばれし戦士よ。エル・ヌール、どうか私をお受けとりになって。私はあなたのものになるために生まれてきたのです」
「そんな…」
 ハリードは、ファティーマの姿から懸命に視線をそらそうとした。彼女の美しさは容易に彼の心を捕らえてすでに魅惑の侵略は始まっていた。体の芯が熱くなるのを感じる。
 遠目には分からないが王族の女の衣裳は薄ければ薄いほど高級とされ、身分の高い者が身につける。特にファティーマの着けている衣は間近で見ると体の曲線が露わになってしまう。貝染めの紫に透けたファティーマのそれはハリードが思い描く女のそれよりも遥かに美しく魅惑的であったのだ。
「私は…何と?」
「エル・ヌール、と」
もう一方の手までもがハリードの頬を撫でるので、もう彼は身動き一つとることができない。
「神の御使いであるあなたへの敬愛の言葉です。『神の光(エル・ヌール)』。あなたに仕える私だけの言葉。ハリード、私はあなたの下僕、お好きなようになさって」
「そんなことは承諾致しかねます!」
「でしょうね。でもね。あなたはとても美しくて私はすっかり魅せられてしまったの。ハリード」
と、なんともあでやかに微笑むファティーマに、却ってハリードは腹を決めることができたのだった。頬を包む二つの手を自らの手で包み、ゆっくりと自分の体に回す。そして自分もたくましい両腕を彼女の柔らかな体に回した。
「私は神の御使いでも何でもないと言ったら?」
と問う。ファティーマは黒玻璃の瞳をまっすぐにハリードに向けこう答えた。
「構わない。私の心と魂が、いいえ肉体までもがあなたを欲しているから」
大胆にも、彼女はその豊満な肉体をさらに押しつけてくる。彼女の片脚は今にも彼の太股の間を割って入りそうだ。元々砂漠の民の愛情表現はあからさまであるが、ファティーマはとりわけ自らの愛情に正直らしい。
 ハリードもまた、驚きながらもそれを受け容れる。
「姫、何という幸運でしょう。私は一瞬にして世界一美しい宝石と愛しい人を手に入れた。天罰が降るかもしれぬ」
と彼女を抱く腕に力を込める。
 笑い混じりにファティーマもハリードを抱きしめた。
「なぜ?神が私をあなたに与えたのに。その神がなぜ罰をくだすの?」
「わからない、わからないが、怖いのです!」
ハリードの心には幸運を喜ぶ部分と不安を抱く部分が相反してあった。しかしファティーマを得た喜びが何にも勝り、彼は溶けそうな笑顔で彼女を高々と抱き上げる。
歓喜の声が一層わきあがった。

 ハリードは自慢の青毛の馬を駆って月夜の砂漠へとファティーマを連れ出した。馬上で、彼は指輪に口づけし、それをファティーマの唇に寄せて、熱い眼差しを彼女に向ける。その眼差しの強さにファティーマの胸は高鳴った。体中が幸せな痺れに包まれる。ファティーマもまた、その眼差しに応えた。その時。
「姫よ、約束しましょう。私の永遠の愛と忠誠を。月が女神の星を抱く季節に、あなたを私の妻に迎えましょう」
 それは違えようもない求婚の申し出であった。ファティーマの瞳は砂漠の夜空のように輝いた。承諾の印に彼女は指輪に口づける。「ハリード!その日が待ち遠しいわ!」ファティーマは力一杯ハリードを抱きしめた。
 愛おしい、と思った。美しい宝石は人を魅了する。ハリードもまた、ファティーマという神秘に魅せられた。それ以上に、時々少女の顔を覗かせるこの妖艶な女性を、自らの命をかけても守りたいと誓った。
 神に選ばれた戦士?望むところだ!
「私はあなたのために強くなる。あなたがいれば、他に何も要らない」
そういって、彼女の黒髪を優しく撫でた。ファティーマの柔らかい腕にもさらに力が入る。
「嬉しい、ハリード、私もよ。あなたがいれば、黄金も宝石も、国も…何も要らないわ」

砂漠の月が蒼く、冷たく輝いた。
恋の炎が決して静まることがないのを、しかしその波乱に満ちた運命を知るかの如く。




いいえ皆様 あれは光 神の光

王よ お喜びを あれは救い主 神の遣わしたる希望の星








Fin


[ No,236  英様 ]

-コメント-
さる映画を見て書きたくなったナジュ王国です。少しエジプト風味に。
時は神王教団台頭直前くらいです。

「エル・ヌール」の由来と、滅亡寸前の絢爛たる王朝の様子、いかがでしたでしょうか。
ファティーマ姫は世界三大美女の一人です。きっと!超絶美人のはずです!