暗殺騒動

「最近の騒動を知っているだろう、誰かと一緒に帰るようにしろ」
カタリナにそういうと、影は部屋へ戻った。執務室を抜けて寝室のほうへ行くと、ミカエルが書類に目を通している最中だった。
「お前はいつもそうだな」
ミカエルが言った。
「言わなくても、カタリナならそれくらいの用心をする」
「優しくしたって、いいじゃないですか」
影はそう言って、ミカエルから書類の半分を受け取った。目を通すだけでかなりの労力をともなう作業に思われた。
「妙な事件だな」
ミカエルは書類をまとめると、しまってしまった。
「もう、全て確認されたんですか?」
「いや、もう一度洗いなおしたほうがいい。矛盾が多すぎる」
影はミカエルがしまった書類をもう一度出して、読みはじめた。
「矛盾、ですか?」
「そうだ」
ミカエルは苛立たしげに息を吐くと、部屋を歩いて机に座った。
「理由に乏しいうえに、一貫性がない」
影は、見ているのか、見ていないのか、すごいはやさでぱらぱらと書類をめくっているだけのようだった。ミカエルはその行動を怒る気にもならない。行き詰まっていた。
「理由も一貫性も、ありますよ」
「この事件のどこに、一貫性があると?」
影は笑った。
「俺には、わかりかねますが、犯人にはあるんでしょう。
でなければわざわざ殺人なんて面倒くさいこと、するわけないじゃありませんか」
人が死んでいるわりには、なかなかサッパリとした言いぐさだった。言葉はほんとうに他人事だったが、行動は非常に協力的だったのでミカエルは黙っていた。しかし放っておくわけにはいかない。
「毎晩、死人が出ているのだ。今日もおそらくは…」
「でるかも知れませんね」
影はそういいつつも、とにかく現場の状況や聞き込みの内容などに目を通していた。小説でも読むように捜査資料を読む奴だ…少し頭にきたのだが、自分はすでに読むのをやめていたのでその言葉を飲み込んだ。影から資料を半分奪うと、最初から目を通しはじめた。
 人通りのない夜を狙ってはいるものの時刻に特徴はなく、凶器も死体にささったままであったり、持ちかえっていたり…被害者にも共通点はなく…まったくの見当違いな殺人犯に思えていらだちが募った。
「…読んでいて面白いか?」
 まったく顔を上げない影へ、おもわずそう切り出したほどだった。
「不謹慎ですが、それなりに」
 影はうん、うんとうなずいて次のページをめくった。読みながら、こう言った。
「ポワロならどうしますかね」
「…目撃者全員に、自分から質問をするだろうな」
 だがこの人数では無理だった。第一、動いている列車のなかでの事件なら犯人もわかりそうなものだ。
「ホームズならどうしますかね」
「事件現場に寝ころがって死体の真似でもしてみるか」
 結構読み込んでるじゃないですか、と影から言われたようで、ミカエルは咳をひとつした。
「小説は、小説だ。現実とは違う」
「そうですね、疑似体験ってやつなんでしょうね」
 影はぶつぶつと口を動かしながら、いくつかの事例を呟いて天井を見上げた。
「なにかわかったなら言え。そうでなかったら少し静かにやれ」
「いっそ、小説でも読もうと思って」
 影はそれきり静かに紙をめくりだした。ミカエルも集中しなくてはならないなと思いなおして、コーヒーを飲み干すと無言で書類を読む作業に没頭した。
 一時間くらいは楽にすぎたように思われた。
「少し整理しよう」
「ええ」
 ミカエルと影は顔をあげて言い合った。
「土地勘のある人間には違いない」
「あの警備をくぐってますからね」
 白い紙に、ささっと逃亡ルートを書き込む。確かに有能なふたりには、それくらいのことは頭にすでにたたき込まれていた。
「凶器はみじかなものだ」
「台所や職場にあるようなありきたりの…統一性もないですね」
 鋏だの、包丁だとのいう単語が書き込まれた。
「人通りのないところを選んではいる」
「つまり、完全に判断能力がないわけじゃないってことですかね」
 どれもこれも、犯人を絞り込むにはあまりにありきたりだった。行き詰まった思考に、影が提案を出した。
「考えかたを変えませんか」
「どうする」
 影はベットに座っていたが、立ち上がると部屋を行ったりきたり…まるで小説の中の誰かのように顎に手をそえて、うろついた。
「まるでホームズだな」
「パイプでもくわえますか」
 冗談でも言わなければ、煮詰まった頭の中がおかしくなりそうだった。
「犯人は、なんで人殺しなんてしたんでしょうね」
「殺したいほど憎い相手がいた…というわけではなさそうだな…」
 言いかけて、そんな犯行現場ではなかったことを思い出す。確かにむごく切り刻まれた死体の様子は「恨み」ととれなくもなかったが、被害者の共通点がなさすぎた。
「共通の相手から恨みを買われるような被害者層ではない」
影はうろうろとベットの前をうろついていた。その演劇のような仕種をやめろ、と言いたかったがどうでもいいことなので口には出さなかった。
「本当に殺したかったのなら、もっと楽しそうに殺すだろうに。
 犯行声明もなければ、快楽を感じてる様子もないし…」
 人殺しに、楽しいもなにもあるものだろうか。そのような発想は意味がないように思われた。すでに真夜中を過ぎていたこともあって、ミカエルは少し眠いなとコーヒーを探した。
自分のコーヒーはさっき飲み干したので、ミカエルは影のぶんを全部飲んだ。
「ミカエル様は、人を殺したいと思ったことあります?」
「いや、本気でそう思ったことはない。お前はどうなんだ」
 いつも身近においている部下だけあり、不意に質問をしたくなって言葉にした。
「あります」
参考になるとは全く思わなかったが、質問したので訊ねることにした。
「どのような時だ?」
「コーヒーを勝手に飲まれたときとか」
「…………」
 影は冗談を言ったのではなく、自分のコーヒーがないことには今気がついたらしい。別に怒る様子もなく、逆に笑って訂正した。
「今じゃ、ないです」
「あたりまえだ」
 こんなに簡単に殺されてたまるか、とミカエルは腹立たしげに腕を組んだ。それにしても、たかがコーヒーか。
「お前にそんな、暴力性があったとはな」
「多分、何かに追い詰められていたんでしょう」
 さっぱりと笑うと、ベットのはしっこに座った。
「きっと犯人も、追い詰められているんだと思います」
「犯人に共感するのはやめろ」
 ミカエルがそう念を押したのは、影が危うく見えたからだった。言葉だけを聞けばたいしたことのない台詞に思えたが…そう、こいつはコーヒーで殺意を抱ける人間なのだからと。
「…俺が、凶暴な人間に見えますか?」
 ミカエルはもう一度影を見た。さっきも帰宅しようというカタリナを心配していた男だ、本気ではあるまい。
「そういう意味ではない」
「追い詰められていなければ、誰も人を殺したりなんてしませんよ」
 こいつなりのやりかたなのだろう、たまには人のやりかたで物を考えるのもいいかも知れない、ミカエルはうなずいた。
「しかし、現にこの犯人は何に追い詰められているのだ?」
「それは本人に聞かないと」
 ミカエルは溜め息だ。
「それでは進展にならない」
「なります」
 影の自信が、根拠のないもののように思われた。ミカエルは苛立った。
「どうなるんだ」
 影はコーヒーをふたつ入れてくると、ひとつをミカエルに手渡した。ミカエルは影のゆっくりとした態度に不服だった。
「理由のない犯罪ばかりが増えている。
 殺人に理由を求めることそのものが、間違いかもしれないな。
 この事件もそうだ、むしゃくしゃしていたんだろう」
 影はうなずいた。しかし言葉はまったく賛成の言葉ではなかった。
「理由はあるんですよ。人や社会に伝わらないから、ないことにされてるんです。
 もちろん、犯人そのものが愚かなわけで。だから犯人自身が気づけない」
 人間というものは、本当に頭のつくりが違うらしい。ミカエルは黙って続きを話せと身振りで命令した。
「狂気にだって、理由があります。
 …理解されずに理由を消されて人から狂気とよばれるんです。
 本人が愚かで、そのこと自体に気がつけないから狂気に追われて追い詰められる。
 そうして狂気に飲まれて狂暴になる」
 ミカエルはとにかくうなずいた。
「間違いではないかも知れないが、つかまえる糸口にならなければ、
 プロファイリングも無駄話になるだけだ」
「方法ですか、あるんですが…」
 ひどく勧めたくないというふうに、影はうつむく。
「四の五のと言っている場合か? 今日もおそらく死者がでる」
 ミカエルは窓辺に立って外を見た。見張りの兵士があたりを巡回する光が目立った。このような物騒なロアーヌを見たことが無かったので、憂鬱だった。
「人間に善悪を無視させるような強力な衝動です、うまく罠をかければかかるかと」
 ミカエルはうなずいた。
「女のほうが相手も襲いやすいだろう、ならば…」
 影はミカエルを見た。やっぱりカタリナを使うんだ、という言葉は声に出していなくてもミカエルにまで届いていた。
「武器を持っている人間を襲いはしないだろう、マスカレイドなら隠せる」
「やっぱり、やめましょう」
 何を言っている名案ではないか。そう思いつつミカエルはカタリナを一度呼び戻そうと外にいる部下に伝えに部屋を出た。
 部屋にも声が聞こえていた。
「なに? つかまった? …どういうことだ…」
 影が顔をあげたとき、ミカエルが不機嫌そうに入ってきた。
「帰りにカタリナが襲われたらしい。返り討ちに遭って、つかまったそうだ」
 耳を疑った。しかしそのうち、なんとなく可笑しくなって、影は笑いだした。ミカエルは少しつられて溜め息のように笑いを漏らした。
「ひとりで帰るな、と言ったが…」
「言ったのは、俺ですミカエル様」
 そうだったな、とミカエルはベットの脇においてあるコーヒーを飲み干した。
「ところで…」
 ミカエルは影をみつめた。今回のことで、ひとつ聞きたいことがあった。
「お前は理解できているのか…その、お前の言う狂気とやらを」
「…俺が、狂気にとりつかれているように見えます?」
 ある意味では…という言葉はミカエルの心に止まった。違うニュアンスの言葉で覆われてそれは出された。
「わからないから、きいている」
 影はさっぱりとした笑みで答えた。
「ただの衝動です、狂気なんて。たいしたものじゃありません。
 ああ、そうかと聞いてあげればやる気をおこしてくれる、いい奴ですよ」
 やや理解に苦しんだ。それでもいいか、とミカエルは机に座る。別に危険な男というわけではないだろう、この部下は。
 ミカエルが机の上に置いてあった自分のコーヒーを見つけたそのタイミングで、影はそれでも穏やかに念を押したのだった。
「でも、俺のコーヒーは勝手に飲まないほうがいいと思いますけどね」



[ No,195  ランカーク様 ]

-コメント-
ひとつの部屋だけで構成される物語というのは、好きです。
書いているときに、動きの描写にとまどう自分がいとしい。
ミカエルさまってば、コーヒー…そんなこんなで、飲み過ぎですよねぇ。