マジシャンギルドへもう一度
はじめに
 この小説はラシュクータさんの「マジシャンギルドについての考察」にヒントを得てつくったものです(その記事はリニューアルによって現在は公開されておりません)。


本編

 今朝、一通の手紙がきてからというもの、トーマスがいそいそと準備をしたりやめたりしているのをシノンのメンバーは知っていた。幼馴染なのになんとなく聞きづらかったのは、以前のように「ひたすらに仲のいい」仲間というわけではなくなってしまったからだろうか。大人になると、何かとストレスがたまってしまう。
 というわけで、ユリアンもサラもエレンも聞けずじまいだった。
 一緒に旅をしていたミカエルがひとこと、トーマスに言った。
「マジシャンギルドの同窓会だろう?」
「…え? ご存知なんですか?」
「今朝、わたしのところにもきたからな」
 トーマスは先輩たちの名簿を思い出そうとつとめてみた。しかしマジシャンギルドとは世界的に有名な学校なので、あちこちの皇族やら大富豪らがたしなみとして魔術を習いにくることも多かった。同窓生ならまだしも、すでに学校を後にしていた人たちの名簿までは思い出せない。
「ミカエル様も、勉強されていたんですね」
「まぁ、たしなみ程度にだ」
 トーマスは苦笑いで返した。
 まさか、学校でいろいろあったから行けない、なんていいづらいのでトーマスはだまっていることにした。
「それで荷物をまとめたりほどいたりしていたのね。いけばいいじゃない〜!」
「そうそう、友達とかもいるんだろ? 人付き合いいいもんなトムは」
 エレンとユリアンが笑いながら、トーマスの荷造りを勝手にはじめてしまう。困ったなと、トーマスは頭をかいた。
「うん、まぁ、もうちょっと考えてからにするようん」
 わざと曖昧な返事を選んで、トーマスはため息をつく。まさかその友達が問題だなんて言ったら、根掘り葉掘りみんなに聞かれてしまうに違いない。
 サラが入り口近くでトーマスを呼んだ。
「トム、おきゃくさん」
 トーマスが扉をあけると、マジシャンギルドの同窓生が立っていた。
「あ、あの、トム…あぁ、ひさしぶりだね! どうするかなと思ってさ、同窓会…」
 ライムだった。
「そう、それなんだ…。問題は彼だよ、きっと来ないから大丈夫だとは思うけど…」
 トーマスも言葉をにごしながら話をする。いったいマジシャンギルドで何があったのか。あのトーマスである、何かをやらかすような人ではないのに…とシノンメンバーおよびミカエルは顔を見合わせた。
「あぁ、ごめんみんな。僕らはちょっと外で話をしてくるよ」
 トーマスはライムと一緒に、近くの喫茶店へと足を運んでしまった。
 トーマスが出て行ったあと、みんなは輪になってマジシャンギルドでおこった「何か」について考察することになった。
「ミカエル様はギルドにいたんでしょ? 何か知っていませんか?」
 ミカエルは首をふる。
「表立った動きはなかったな…おそらくわたしがギルドを去ったあとの話だろう」
 そこまで言うと、ミカエルはふとつぶやいた。
「いや、もしかしたら…」
「え? なんですか?」
 ユリアンが身を乗り出して、質問をする。ミカエルは声にだしてしまったことを後悔したようだった。あまり人に話したくない内容なのだろうか。
「まぁ、いろいろあったのだろうきっと…」
 ミカエルにしては抽象的な表現に、シノンのメンバーは目をパチパチさせる。トーマスが心配なのだろうか、それとも単なる好奇心なのだろうか、定かではないにしてもシノンのメンバーは身を乗り出して同じことを叫ぶ。
「教えてくださいよ〜」
 ミカエルは不満そうにため息をついた。
「他人のことだろう、それにわたしも同窓会に行く気はない」
 シノンのメンバーたちのブーイング。
「わかった! 友達とか、ひとりもいない…あ、失礼かなこれ」
「っていうか、つれてってください」
 ミカエルは不機嫌になって、こういった。
「そんなに心配なら、トーマスの跡をつけていって会話の内容でもひろえばいいだろう」
 そういって、彼は宿をあとにしてしまった。
「どうする…?」
「どうするって」
 エレンはユリアンに言った。
「ミカエル様の言うことはもっともよ。行きましょう!」
 ユリアンとサラとエレンはちょっとだけ笑いながら、トーマスを追って店へ入ることにした。


「やっぱり、一回くらいは顔をだしたほうがいいよね…」
 声の小さなライムの言葉を拾える場所を探して、シノンのメンバーは腰掛けた。ちょうどいい席が空いていたのでほっとする。むこうからは死角になっているらしく、落ち着いて話をきけそうだ。
「う〜ん、確かにそうだろうな…。とにかくアイツがモウゼスにいる限り、
 モウゼスには近づかないほうがいいんじゃないかなと思う、うん、危険だからね」
「そうだね」
 ライムとトーマスは確認しあうようにうなずきあっている。
「だって、ヤーマスにまでうわさが届いているんだ…。…二人のあの仲を考えると、
 いまだに彼はウンディーネさんを恨んでいるんじゃないかなと思うし…」
 トーマスは苦そうにコーヒーを飲みながら、言った。
「僕らがマジシャンギルドでしてしまったことは…。いっそ、このまま金輪際忘れよう」
 ライムも(ちょっと青い顔をしていたが、大丈夫そうだった)、うなずいて言う。
「うん、そうしよう。あの出来事は…」

 そう、ちょっとした出来事だったはずの、その出来事…。

 マジシャンギルドは通称であり、正式には「聖ヴァッサール術法学院」という。聖王三傑の一人であるヴァッサールが創立した学院だった。
 学院では、古代文字の読み方や術の歴史、地形との関係…つまりありとあらゆる術に関する研究とその知識の伝授が試みられている。本格的に術者を志すひとは必ず一度はこの門をくぐるとされる名門校で、それ以外に貴族や王族が護身術を身に付けるためや教養の一環として短期間に勉強をすることも稀ではなかった。
「…トム、昨日のテストはどうだったんだい…?」
ライムから声をかけられて、トーマスはちょっと言葉をのむ。機嫌が悪かった。トーマスの成績は学年で2番目だった。
決して自分の成績に不満足だったわけじゃない。留学生であったトーマスには「よい成績」が求められていたが、その基準は楽にクリアしていた。何が彼をいらだたせたのかというと、それはこういった理由…。
たったひとりの敵である、学年トップの青年がこの「覇気のない」青年ライムなのである。
「二番目だったよ」
 意識していないのに、相手を少しにらんでしまった。それに気がついたライムは、おずおずとあとずさって、黙る。何か悪いことを言ってしまったのだろうかと口をまごつかせていた。
「そ、そう。いいなぁ、やっぱり…」
 なにがいいのか、とトーマスはうつむく。自分で思っているより自分は頑張っていたらしく、頭にきてしまうのである。たしなみ程度に済ませようと思っていた術を、どうしてこんなに頑張ってしまっているのだろうと自分で不思議になる。
ただ、ひとつ言えば…トップがこの、何を言っても説得力のない、気弱な青年だということが気に食わなかった。
「機嫌が悪いんだ、話かけないでくれよ。自分の成績、みなかったのかい?」
 すると、ライムはうつむいて力なく笑う。
「僕は…手元に成績表が届くのを待つよ。
だって、…張り出されるのはトップから10番目までだし…」
 下手な遠慮が、逆にトーマスの怒りにふれてしまう。
「そう、じゃぁまた」
 そう言ってその場所を後にする。これがトーマスとライムとの学園での日常だった。

 そもそも術の力には「技術」や「努力」ではどうにもならない「才能」という言葉を強く受け継いでいることが知られていた。いや、すべての物事は強力に才能の影響を受けているといえる。それは武術など戦いにおいてだけではなく、ありとあらゆる側面…たとえば芸術、話術、読書から料理から仕事から交友関係にいたるまで、才能と呼ぶに等しい何かの影響をうけて人はそれらをこなしている。ある程度はほとんどの人ができるのである。ある程度までは…。
 「ある程度」で満足できなくなったとき、人は岐路に立たされるのだろう。
「それまで」
 ウンディーネに言われ、トーマスはうなだれる。
「勝負あったわね…ずっと蒼龍にもっていかれていたわよ」
「…あの、その…あ、ありがとうございました」
 ライムがおじぎをした時点で、授業の終わりの鐘が鳴った。
「…あの、では僕は…これで」
「ええ、伊達にトップは飾っていないわねライム君」
 ライムは驚いたようだった。彼は自分の成績を確認していなかったのである。
「え…? と、トップ??」
 荷物をとろうとした瞬間に言われたので、あわてて足をもつれさせる。転びそうになって頭を壁に「ゴッツン」して、そこをさすりながら振り返る。
「トップって、…まさか一番?」
「あら、確認していなかったのね。あなたの名前はちゃんと大きくかかれていたわよ」
 恥ずかしそうに、背中をまるめて、いそいそを教室をでるライム。そんなライムの態度と「覇気のなさ」がトーマスをうんざりと嫉妬させていた。
「ウンディーネ先生、突然ですが…」
 トーマスは、以前から言いたかったことをウンディーネに切り出してしまっていた。
「ひとつお尋ねしたいんです」
 きかなかったほうが、よかったのかも知れない。
「僕に、術の才能はあるでしょうか?」
 ウンディーネはこの質問に別段、驚かなかったようだ。生徒から幾度となく聞かされている質問なのだろう。とくに間も設けずにさらりとこう答えた。
「人並みにね」
 答えられてしまった。
 トーマスは、なんとなくガラスの割れたような音を聞いた気がした。とまどいを見せないように教科書の類をカバンへ押し込みながら、それでも「人並み」の意味を知ろうと、こんどはこう質問をした。
「努力しだいで、なんとかなると思いますか?」
「聞きなれた質問だわ」
 うんざりとした表情で、あからさまにウンディーネは言った。トーマスはその顔にも嫉妬した。彼女は自他ともにみとめる「天才術士」なのである。
「でも僕は知りたいと…」
 トーマスはそう言った。言って、ウンディーネをじっと睨んだ。どうして自分がこんなに術を頑張っているのかが自分でわからなかった。きっと、術を勉強するのに時間を費やしたからなのだろう。きっと術が好きになったに違いない。好きだと思っているものから裏切られるのが怖いんだろう…。
「あのね、トーマス君。わたしにも嫉妬はあるわ」
 嫉妬と見抜かれて、トーマスはうなだれる。大人気なかったなと謝るべきだったのに、どうしてもそんな気持ちになれなくて「違います」と首を振ってしまった。
「僕に人並みの才能しかないとしても…。いえ、僕は…
僕は、学年で一番になりたいと思っています。なれると思いますか?」
ウンディーネは大きな声で笑った。笑ったあとで、こういった。
「ライム君のことね。馬鹿らしいわ」
「馬鹿らしいだって?」
 トーマスは自分の声が大きくなるのを感じた。
「僕の悩みが、馬鹿らしいだって?」
「ええ、馬鹿らしいわ。言ったでしょ、わたしにも嫉妬はあるのよ。
 こうやって人に術式を教えていると、ときどきゾッとするときがあるわ。
 芽のままつぶしてやりたいと思うような生徒がやってくるのよ」
 ウンディーネの声色は、ぞっとするほど落ち着いていて、寒気を覚えるくらいだった。
「わたしはあなたたちを、怖いと思ったことはないわ。それが答えよ」
 トーマスは驚いてしまって、しばらく動けなかった。もう術はやめなさい、といわれたような気がして…体の力が抜けてしまった。何にも言わなかったかのように、ウンディーネはノートをまとめて持ち上げた。トーマスが術をやめても、続けていても、彼女には嬉しくも惜しくもないのである。それがトーマスに伝わってしまった。
 聞かなければよかったのだろうか。でも聞かずにはいられなかった。
「あぁ、でも…学年で一番くらいならなれるかも知れないわね。
わたしの用事を頼まれてくれれば、だけれども」
 いまさら聞いても、その言葉はあまり嬉しくは響かなかった。
 学年でトップというくらいで、という世界なのに。その学年でも一番になれない。そんな自分がいったい何の望みを術にかけていたのだろう。もう、やめてしまおうか…。
「朱雀術を専攻しているボルカノ君が最近わたしの地形の授業にこないのよ。
 何かに夢中になっているみたいなのよね。
一度じっくり話をしてみたいから、研究室に呼んでくれないかしら。
なんなら、研究の力になるからと言っても構わないから」
 トーマスはうつむいた。それをウンディーネはうなずいたととって、教室をあとにした。

 ボルカノ、という名前にはトーマスも見覚えがあった。確か学年で必ず2、3番目には入っているという、成績の良い青年だ。ただどうしてだろう、一度も会っていない。授業にもでないで、いったい何をしているというのだろう。
 図書館にいるといううわさを聞いてトーマスはたずねることにした。この「ギルド図書館」…正式には「聖ヴァッサール術学研究所資料館蔵書室」には、恐ろしい数の蔵書が収められている。貸し出しができるので、トーマスは週に一回くらいしか足を運ばなかった。
「すいません、ボルカノっていう術学修習生がいるはずですが…」
 見ませんでしたか、と続けようとしたのだが司書はさっと指を奥のほうへ指した。
「夜中にも調べ物をしたいからといって、図書館に泊まっているんですよ。
 いまどのあたりを読んでいるのかは検討もつきませんがね」
 いったいどんな人なのだろう。トーマスは天井まで詰まれている本の山の間をくぐって歩いた。人が動かしても動かさなくても、この空間はいつもこうだった。良く言えば知的で静かなたたずまい、悪く言えば根暗で閉鎖的な空間とでもいおうか。
「ボルカノさん、いますか?」
 返事はなかった。
「…もどろうかな…」
 近くを人が歩いてきたので、トーマスはたずねた。
「ボルカノさんを見ませんでしたか?」
「あぁ、あの赤い奴? このあたりでいつも調べものをしているらしい。
 最近はそれで、成績もめっきりだって話だ」
 トーマスはちょっと沈黙をあけて、きこうかどうかと迷った。しかしやっぱり口にだして質問をすることにした。
「めっきりって…以前はどうだったんですか?」
「ダントツだよ、天才って言われていたんだ、それまでは。
アイツにかなうやつはいなかったのに、どうしてだろうな…」
 そうつぶやいて、その人は足早に去っていった。
 それでトーマスはボルカノにどうしても会いたくなった。この学院で成績にこだわらない人間なんて稀であったし、ウンディーネのいう「才能」というものをもしも見られたとしたら、自分の嫉妬もおさまってあきらめがつくのではないだろうか、と考えていた。
「ボルカノさん? どこにいるんですか?」
 夜が近づいて、図書館にひとけが少なくなった。誰もいなくなったのにカバンがひとつ机に投げ出してあったので、トーマスはそれを調べてみる。
 カバンにはボルカノの名前があった。
「やっぱり、いるんだ」
 開きっぱなしのノートに、なにやらびっしりと本の書き写しがある。題目には「術法と科学の融合について」とあり、突拍子もない独創的な内容の問題提起や術を数列に置き換える実験、動物の行動学、あげくの果てにはオカルトじみたモムンクルスの作り方まで書いてある。
「………………」
 会って、大丈夫だろうかと不安がよぎった…。
 突然、ガサっと本の一角が崩れ、棚の反対側が見えるようになった。何かがいる気配がしたので、トーマスはおそるおそるそれを覗き込む。
 反対側に人がいるようだった。赤い服が少し動いていた。耳をすますと、わずかに寝息が聞こえていた。眠っているらしい。トーマスは反対側へ急いでまわる。
「ボルカノさんですか?」
 返事はなかった。よほど疲れているのだろうか、硬い本を枕にして死んだように眠っている。本人は眠るつもりがなかったのだろう、ペンを右手に本を左手に抱えたまま、ありあまる蔵書の隙間でよりかかるようにして存在していた。
「ううん…」
 やっぱり体が痛いのだろう、寝返りをうっている。顔がトーマスの方向をむくと、相当な美形だという印象を人に与える美しい顔立ちがあらわになった。
「しまった…!」
 がばっと、おきる。時計を見る。
「どこまで調べただろうか…ええと…?」
 そこで、はじめてボルカノはトーマスに気がついたのだろう。はた、と目をあわせた。
 真っ赤な髪、真っ赤な瞳が、茶色いトーマスの目とあう。目を開いているとさらに顔立ちは華やかで、薄い唇が少しだけ生意気そうな青年だった。やや神経質で、線の細い印象をうけた。
「ボルカノさん?」
「いかにも。何の用だ? 忙しいんだ」
 本にはさんであったしおりを発見して、安心したようにうなずくと書籍の山の上からおりる。
「僕は…ウンディーネ先生から伝言があってきたんですが」
「なんだ、教師の手下か。で?」
 ひどい言い草だったが、本人に悪いことを言っている感はないのだろう。
「研究室に来るように、と」
「ああ、聞いたよ。用事はそれだけか?」
 それで用事は終わりだった。トーマスは静かに帰ろうとしたが、ひとつ気になったことがあるのでそれを質問してからでもいいだろうと、様子をうかがうことにした。
 ボルカノは、本を積むと図書館の椅子に座って黙々と読み始めていた。その本の背表紙には「術による魔獣の生成についての考察」なんて題名がある。どうやら自分からきっかけをつくらないと、話をさせてもらえそうにない。
「いったい何の勉強を?」
 本から顔をあげずにボルカノは答えた。
「題名のとおりの本さ」
 それきり、また黙ってしまう。トーマスは静かに続けた。
「あなたがその勉強にはまってから、学校の成績がめっきりだと聞きました…
 それまではトップだったと」
「ああ、そうだったよ」
 あんまりあっさりと言うので、トーマスは少しいらいらした。質問に力が入ってしまう。
「どうして、この勉強を?」
「どうしてって、おまえ…」
 ボルカノは少しだけ顔をあげ、トーマスを見て笑ったようだった。
「興味をもったからさ」
 トーマスは冷静さを取り戻そうとつとめながら、さらに言った。
「じゃ、どうして学校の授業をさぼって…?」
 ボルカノは、笑っていた。
「どうしてって、簡単じゃないか、興味が失せたからに決まっている」
 天才、という言葉がトーマスの頭をとおりすぎて行った。ここに才能に恵まれなかった人間がいるのに、才能に恵まれている人間はこうして遊んでいるなんて…。
「まぁ、研究生にくらいはなれるだろうし、そうすれば研究の資金も出るからな。
 下手な役職などについて時間を割かれたくないんだ。
 卒業試験の日程だけ教えてもらえるよう、頼んでおいてくれないか?」
 そうして、トーマスの嫉妬をさらりと軽くするような言葉を発して笑った。
「きっと2番目だったら、躍起になっていただろうな学校で」
 あぁ、そんなものなのだろうか、そんなものなのかもしれない。
 トーマスは、ウンディーネの伝言をもっとちゃんと伝えることにした。
「ウンディーネさんは、あなたの研究に参加してもいいと言っていました。
 いちど話をしに研究室へ行ったらどうですか?」
「あのウンディーネが、わたしの研究に?」
 ボルカノは嬉しそうに言った。
「あれほどの玄武術の使い手なら…」
 嬉しそうに言って、手をたたいた。
「いい話だ、ありがとう。さっそく明日にでも行くことにしよう」
 それきり、また本に夢中になって黙ってしまう。
 トーマスは蔵書室を後にした。

 次の日、ボルカノがウンディーネの研究室に来ることを承諾したと告げると、ウンディーネはスキップを踏んで喜んでいた。トーマスはこう考えていたので、まったくウンディーネのことを疑ってはいなかったのである。「ボルカノさんの才能に、興味があるんだろう先生は…」と。だからまったく気にせずに部屋を出ようとした。
「ああ、そうそう。あなたとの約束は果たさないと。
学年で一番になりたかったら、放課後暗くなってから蒼龍の実習室をのぞくといいわ」
トーマスは、ただ「ありがとうございます」とだけ言って部屋をあとにした。
もう、才能論などどうでもよくなっていたのである。ただそういいきってしまうといままで術に傾けてきた自分の情熱がなしになってしまうような気がして怖くもあった。迷ったあげく、やっぱり実習室をたずねることにした。
暗くなった廊下に、ぽつりと明かりがともっていた。こんな時間に誰が練習しているんだろう…いや、もしかしたら単にランプを消し忘れて帰っただけなのかも知れない。
扉をそっと開けて、中をのぞいてみる。ライムがそこにはいた。
蒼龍の基本術をずっと唱えている。十回に一回ずつ、黒板に線を引いているらしい。線をひいてはまた続け、続けては線を引く。こんな練習を彼は毎日続けていたのだろうか。
きっとそうなのだろう。いまも回数は100を超えていた。
やがて、もう学校が閉まる時間になってやっと練習を終える気になったらしい。ライムは律儀にも黒板をしっかりと消し、溝を箒で掃除し、水拭きまでして確認をすると教室のドアを開けた。
「…あ!!」
ものすごく驚いた声を出す。トーマスはなんとなく話す言葉を失っていたので、「やぁ」とだけ挨拶をした。
「…見ていたんだ…」
恥ずかしそうにうつむいて、ため息をついた。ライムは言う。
「あの…もし時間があるなら、成績表をいっしょに確認してほしいんだ。
いまだに、僕が一番だなんて…信じられないんだ…」
トーマスはつきあうことにした。廊下を歩きながら、トーマスは言った。
「ずっと一人で練習を?」
ライムは、やっぱり覇気のない口調で返事をしている。
「…うん、そうなんだ」
ライムは静かにこう続けた。
「…僕は、いままで人より何かができるなんて経験、したことなかったし…。
根性もなくて、勇気もなくて…でもそういったことができる人を
うらやんでいる自分が嫌になって、頑張ることにしたんだ…」
掲示板の前で、ライムは自分の名前をじっと見つめていた。
「あぁ、本当だ…! 一番最初のところに僕の名前がある」
 トーマスは自分よりずっとライムのほうが頑張っていることに気がついた。どうしてもっと早く気が付かなかったのだろう、夕食も入浴もひといちばい早く切り上げて、ひとりでどこへ向かっていたのか、どうして知ろうとしなかったのだろう。
「あの日は、本当にごめん。僕が一番だなんて知らなかったんだ。
嫌味に思われてしまったかなって、…それを聞き返すのも怖かったんだけど…」
学院のトップ生は、猫背でさえない顔をしたまま、照れ隠しなのだろう…意味もなくカバンをまさぐってぼろぼろの教科書を読みはじめていた。

それから。
そもそも、高い学費を払えることが条件となることが多く、ある意味ではインテリの学校という烙印を押す人もいたあのマジシャンギルドにおいてふたりは明らかに「平民」だったため、非常に親しくなったのである。
ただ、やっぱりトーマスにはどうしても「超えることができない壁」が存在していた。ライムが母の不幸のために退学をして去るまでに数回のテストがあったが、結果的にトーマスが一番になったことは一回もない。いつもわずかばかり、ライムに負けていた。
「努力」を続けるのも才能かな…、ライムが帰ってしまったあとの卒業試験ではじめて一番をとったトーマスはちょっとだけため息をついていた。


喫茶店の席で、シノンのメンバーたちは、いったい何が悪い思い出なのだろうかと顔を見合わせた。
「いい思い出じゃない、青春よね〜」
「同窓会、いけばいいのに」
しかし、二人の話はまだ少しだけ残っていたようである。

 そう、ウンディーネを紹介されたボルカノの話。ウンディーネを本気で好きになってしまった若き研究生は、つぎつぎに恋人を乗り換えるウンディーネに振り回されて相当心に傷をおったようである。ボルカノが、そのありあまる術力の才能でウンディーネの家を焼き尽くしたり、ウンディーネの恋路を邪魔したりしたことが原因で、いまだに二人の仲は最悪だった。
 二人が地位的に高い立場になったため、町じゅうを巻き込んでとんだ大惨事を引き起こしかねない状態にまで発展している。

 トーマスは机に突っ伏して言った。
「知らなかったこととはいえ、ウンディーネさんを紹介したのは僕だから…」
「…うん、やっぱり…殺されかねないよね…」
 そう言って二人は、モウゼスには二度と近づかないことを誓い合って、学生時代をよき思い出にすることに決めたのである。



END
Runcark



[ No,195 ランカーク様 ]

あとがき
 この小説は個人的にとても気に入っているものです。物語的にもあまり煮詰めていないため、矛盾点などたくさんあると思いますが、僕にとってこれはわざと書き直しをしないで残したい作品となりました。
 登場人物も、今回は全員思い入れが深い設定になりました。(ミカエルとシノン組はきっかけと締めくくりのためだけに引っ張ってしまいましたが)、悩める主人公としてのトーマスも気に入っていますし、努力家としてのライムも個人的に好きです。ウンディーネの台詞は、ひとつの真実であるとすら思っている次第です。
 でも一番好きなのは、今回に限っていえば「ボルカノ」に尽きます。ボルカノについてはいろいろな考察がなされていると思いますが、今回のボルカノ像はあえて「天才としてのボルカノ」として書きました。ボルカノがアイテムなどの研究に熱を上げた理由は明らかになっていませんが、僕は二つあると考えています。ひとつは「術に才能が足りなかったから」。もうひとつは今回のテーマである「術の才能がありすぎて、逆に興味を持続できなかった」というものです。僕のボルカノ像と一致しているかどうかともこれは別問題で、今回は後者でないかぎりトーマスの悩みにひとつの答えを提示できない展開になってしまうため、後者を選択した次第です。


 また何かを書くと思いますが、その時にも読んでいただけたら幸いです。