願わくば憩いの時を

 
「ようこそ、おいでくださいましたね」
 ミューズの導きに従い、トーマスは庭へ出た。それほど広くはないが、美しいバラが咲き乱れ居心地がいい。
「きれいなバラですね」
 トーマスはまずこの言葉を口にする。艶やかな色の花々に対する感嘆と、それを育てる主への憧憬を込めて。
「ええ。花を育てるのは楽しいわ」
 如雨露(じょうろ)を手に、ミューズは微笑む。バラもかすむその笑みに、トーマスは胸の高鳴りをおぼえる。
 祖父からの言いつけ通り、クラウディウス家の娘をみつけた。ピドナ旧市街の人々は初めかたくなに口を閉ざしていたが、トーマスがクレメンスに縁ある者だと知ると、ひっそりと情報を教えてくれた。旧市街には、現支配者であるルードヴィッヒに追われた一党が多く隠れ住んでいる。
 いつか、クラウディウス家を再興すべく機をうかがっているのだろうか。
 祖父が自分にミューズ探しを命じたのもそのためかもしれない。トーマスはバラに目をやりながら思う。
「ミューズ様、トーマス殿、お茶が入りました」
 と、屋内から声がする。シャールが窓から顔をのぞかせ、テーブルの用意が整ったことを知らせているのだ。
「ミューズ様」
「わたくしはお花に水をあげてから行きます。トーマスは先に中へ」         
 陽光の下でミューズが声をかけた。
「日の光が強いですから、すぐに中へ入るのですよ」
 去り際、トーマスはそう言うのを忘れなかった。ミューズは身体が弱く、強い日差しに耐えられない。
 テーブルへすすんだトーマスに、シャールがカップを渡す。利き腕をメッサーナの乱で痛めたと聞いているが、物を握るのはなんとかできるようだ。トーマスの前に、澄んだ香りと湯気がひろがる。どこからこの高級な茶葉を手に入れているのだろう。
「クレメンス様が、財産を遺されておいででな」
 その問いに答えるように、シャールが口を開いた。
「ここでの生活に支障はない」
「なるほど。しかし何かあったら俺に。力になりましょう」
「ありがたい。そのときはよろしく頼む、トーマス」
 ふたりきりでいると、トーマスとシャールの口調は少し粗雑になる。年は離れているが、ふたりは馬が合うのだ。
「ルードヴィッヒの様子はどうだ」
 問うシャールの声に険がまじる。ピドナの現支配者への感情は、クラウディウス家に関わる者ならば良いはずもない。
「善政だ、と言えるでしょう。他の勢力を抑える手腕は見事だ」
 率直な物言いのトーマスに、シャールは切れ長の目を向けた。
「見事、か。奴の狡猾さはよく知っている」
 つと、シャールは庭先のミューズに視線を移す。彼女はゆっくりとバラに水をやっている。ほそい指でつぼみを愛でながら、慈しむように一本一本バラに語りかけている。
「まだ刺客がくるのですか」
 トーマスはシャールの眼差しの意味を感じ取り、言葉に出す。
「ああ、油断はできない」
「ここへ移り住んで何年に」
 トーマスの問いにシャールはしばし考え、
「五年になる」
 五年。つまりメッサーナの乱から五年を経たということだ。
 当時、王亡き後のピドナ君主に最も近かったのがミューズの父、クレメンス・クラウディウスであった。競争者であるリブロフの軍団長ルードヴィッヒとの争いに勝利し、いよいよ王になろうという矢先、クレメンス卿は神王教団により暗殺されてしまった。追手を逃れ、彼の従者であったシャールは忘れ形見であるミューズと共に、ここ旧市街へ隠れ住んでいる。
「俺はミューズ様をお守りする。どんな敵からも」
 シャールはそう言うと自分のカップに口をつけた。視線はいまの主であるミューズから離さない。
 彼女は美しい。トーマスは昔、いまは人手に渡ってしまったクラウディウス邸で少女の頃のミューズを見たことがある。あの時の彼女も輝くように美しかったが、今はそれだけでない、甘い蜜のような色香がある。男ならば皆、彼女の魅力に惹きつけられずにはいられないだろう。おもわずトーマスは失礼を承知で述べた。
「五年か。俺は五年もミューズ様とひとつ屋根の下など耐えられない。彼女への想いで気がおかしくなるだろうな」
 シャールが振り向く。
「お前のあけすけな言い様はなんとかならんのか、トーマス」
 トーマスは照れを隠すため、からかうように続けた。
「あなたには感心する。五年間も何事もないとは、従者の鑑だな」
 シャールはトーマスをじっと見つめた。沈黙の後、
「何事もない、と思うのか」
「……え?」
 あ、と庭先で声がした。ミューズの指にバラの棘にささったらしい。
「ミューズ様」
 シャールが庭に走り出た。ミューズのそばへ寄り、無骨な手でさされた指をとる。だいじょうぶだから、というミューズの甘えた声がトーマスの耳に届く。
 いまのシャールの言葉はなんだ。
 トーマスは信じられぬ心持ちでふたりを見た。シャールはミューズの指を愛しそうに撫でている。血が出ているのだろうか、彼はそのまま指をひきよせ、自らの唇に傷口をあてた。ミューズの表情がわずかに恍惚となる。
 たおやかな姿の美女と、浅黒い肌をもつ美丈夫。ふたりの姿はバラの海の一枚絵の如く写っていた。
 ……そうか。そういうことなのか。
 今のミューズが、かつて見たときより色香が匂い立っているのは、すべてシャールの所業だったのだ。ミューズとシャールがいつからそのような仲になったのか、詮索するのは無粋というものだろう。にがい失望とともに、トーマスは悟った。
 確かにシャールはどのような敵からもミューズを守り抜くだろう。そしてミューズも、シャールに守られた以上の情愛を彼に与えるに違いない。
 トーマスはカップを口に含んだ。上質の茶は、美味ではあったがほろ苦い味がした。
 
(了)
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・名前:蓮弌(はちす はじめ)
・名簿No:543
・サイトアドレス:http://homepage3.nifty.com/hatisu_hajime/index.html
・コメント:この物語は、りら様のサイト「Lilac Garden」の小説『Espresso』からインスパイアされて書きました。シャールとミューズ。五年もひとつ屋根の下にいて何事もないハズはない! という妄想のもとに執筆したものです。『ロマサガ3』を知らない人にもわかるように、と思いすぎて、説明くさい文章になってしまいました。お粗末。