Romancing SaGa3 ミカエルとその影武者より
難しい問題

 「…わたしがサインしましょうか?」
 その声にミカエルは顔をあげた。影はミカエルを見て落ち着いた顔をしている。いまサインをしようとしている書類の中身を知っているのだろうか。
「なんの書類だと思っている?」
「ええ、囚人の死刑執行を命令する書類です」
 あたりまえのように、そう言ってコーヒーをすすっていた。
 彼はよくコーヒーを飲む。さいきんまでそれは好きだから飲んでいるのだとミカエルは思っていた。でもそれは勘違いだったようだ。休日に彼が飲んでいるのはもっと甘いカフェオレだったり、ココアだったり炭酸の入ったジュースだったりしている。とくべつ甘いものが好きというわけでもなく、コーヒーが嫌いというわけでもなさそうなのだが、休日はコーヒーを飲まないことに気がついた。彼にとってコーヒーは、仕事のときの飲み物のようだ。
「おまえは、ほんとうによくわからない奴だな」
 ミカエルは思わずそう言った。影は首をかしげて笑っていた。
「どうしていきなり、そうなるんです?」
 この言葉の真意は、「何を考えてそういう言葉が出たのですか?」だ。ミカエルは溜息をまぜてこの「優秀」な男をながめた。この男の前で何かひとつを話すと、三から四くらいのことに気がつかれそうで嫌な時があった。
「見てもよろしいでしょうか?」
「ああ、構わない」
 影はミカエルの書類を持つとテーブルの反対側にまわり、目の前の席に腰掛けた。まるで興味のないカタログをながめているように、素っ気ない顔でパラパラとめくる。それにサインをして提出すればその数だけ人間が死ぬんだぞ、と忠告してやりたくなったが、知っているはずなので黙っていた。
「難しい問題ですね、本当に」
 影武者のそんな様子を眺めながら、ミカエルはふと昔のことを思い出した。
「…そういえば、お前にひどいことを言ったことがあったな」
「…はぁ、沢山ありますね陛下。いったいどれを指しておっしゃっているんです?」
 ミカエルは苦笑いだ。ぶいぶんな言いぐさだな。
「おまえなど、あの列に続いて吊されてしまえばいいんだ。と言ったアレだ」
「アレですか。ええ、ちゃんと覚えていますよ、陛下」
 影も思い出したのだろう、ただ、顔を上げたときは意外にも笑っていた。その顔が、すでにその出来事が完全に昔のものになっていることを知らせている。
「聞いてもいいか?」
「内容によります」
 本当にああ言えばこう言う部下である。ミカエルは言った。
「あの夜になにかあったのか?」
「…いいですよ、お話しします。ずいぶん前の話ですし」
 影はコーヒーを飲むのをやめ、ジンジャエールの瓶を自分の荷物の中から取り出すと話をはじめた。
「何が原因で喧嘩をしたのか、もうすっかり覚えていませんが…
 とにかく俺はあの日ミカエル様と喧嘩をしていましたね。
 で、俺があんまり意地を張るものだから、あなたも意地を張ってました」


 その日、ロアーヌ城の裏手ではとある準備がなされていた。木の棒が横にずっと並んでいて、ごわごわとした縄がわっかをつくってそこにぶら下げられていく。喧嘩の最中にミカエル様はこう言った。『おまえなど、あの列に続いて吊されてしまえばいいんだ』
 本当に、なんで喧嘩をしていたんだろう。ひとって、喧嘩をはじめると原因そっちのけで喧嘩に夢中になることが出来るから不思議だ。
「ずっとそこに入っていろ」
 俺はそっぽをむいた。するとミカエル様はほんとうに牢屋に鍵をかけてその場を去ってしまった。ミカエル様と喧嘩をするのはほんとうに希なことだったような気がする。いや、もしかしたらしょっちゅうだったろうか。なんだかよく思い出せないけれど。
 それにしても夜の牢屋っていうのは、どうしてこんなに暗くて、威圧的なんだろう。俺が閉じこめられたその部屋には窓さえなくて、じめじめとした空気が肌を覆ってくる。おかしな臭いまで充満していた。耳を澄ますとなんだか不気味な音が聞こえていた。それは誰かの泣き声かも知れないし、もっと別の想像もつかないものの音だったのかも知れない。子供ならではの発想だろうか、幽霊のせいにしていたら、現実味はなくなったけれど余計に怖くなってきた。
 でもそんなことはどうでもよくて。とにかく俺はひどく怒っていたし、悔しかった。いったい何で怒っていたのかいまだに思い出せないのが不思議なくらいで…簡単にいえば喧嘩に負けたことになるのだとしたらそれが一番悔しかったのかも知れない。
 部屋にはあたるものさえ何もなかったし、突っ立っているのも疲れるので膝を抱えてすわっていたら、余計にむなしくなってきた。冷たく湿った石畳の上でただ体が痛くなっていくのを感じながら、じっとしていた。普通囚人には毛布が手渡されるのだけれども、俺は入っているはずのない場所に入っている無実の囚人なわけで。だから夕食もないし毛布もない。腹が減ってくると余計に悔しいやら怖いやら何やらで…
 …気がつくと泣いていた。
 せめて月くらい見れる場所だったなら。小さなまどから月の明かりが入ってきて、この石の床に格子のしましま模様がうっすらと浮かんでくれているだけで、どうにかこの夜をなぐさめられるような気がしていたのに。ほんとうに闇だけの世界がこの世界には存在するんだ。
 声を出さないようにしていたのに、まったく涙は止まらなくなって、結局おおきな声で泣き出していた。
 すると、どこからか声がしてきた。
「ガキか…? 泣くんじゃねぇ」
 俺はあたりを見回した。でもあたりは闇しかなくて、目をこらしても向かいの牢屋さえ見えないくらいだった。俺は言った。
「でも」
 自分で自分の声がかわいそうなくらい、震えていたし泣き声だった。声の主はもしかしたら空耳かも知れない。でもそれにすがる必要がそのときの俺にはあった。
「ひといんだアイツ、俺をさんざんののしって、こんなところに閉じこめて」
 他にもいろいろ言ったかも知れない。アイツはいつも偉そうで、自分をこきつかうとか。クールで何でも出来そうな癖をして、中身はいまでも死んでしまった母親にベッタリなんだ、とかいろいろ。もしかしたら声の主は笑ったかも知れない。
「何がおかしいんだよ」
 俺は怒ったかも知れない。
 そんな悪口だのを言いながら、俺の声は涙声ではなくなっていた。相手の雰囲気はどちらかというと、映画で見るようなならず者のように俺には思えた。負けじと格好をつけて俺は、そいつにこう質問をした。
「あんた、誰だ?」
「俺か…?」
 その声で、俺はそいつが隣の部屋にいることを知った。最初の声を聞いたときは自分は泣いていたので、場所を特定することなんてできなかったんだ。
「俺は…死刑囚だ」
 相手はただひとこと自分をそう名乗っただけだった。



 ミカエルはコーヒーのカップにミルクを入れてみた。いつもはブラックだったのだが…。冷めていてもおかまいなしだった。あのときを思い出していた。
 そう、自分は夜明け前あたりに影を牢屋から出してやろうと駆けつけた。心配だったからである。何が心配だったかというと、勝手に牢屋を喧嘩の材料につかったのが見つかって父親から怒られるのが怖かったからだった。影が心配だったわけではない。そもそも当時のミカエルは牢屋がどんな場所かなど考えたこともなかったので、そんな発想、なかったのである。せいぜい冷たい床で寝させる程度の問題だと思っていた。
 きっとカンカンに怒っているに違いない、とミカエルは思っていた。それを期待して扉を開けに行ったのに、影は驚くほど冷静な顔をして部屋から出てきた。だからミカエルはひとこと尋ねたのである。
「どうした?」
 それしか言えなかった。それ以外の質問の言葉が見つからなかったからだ。
「なんでもありません、皇子」
 それだけだった。あのときはこれ以上を聞けないような気がして、聞かずにそのまますごしていた。心のどこかで消えずにいた秘密がいまひとつ解決したような気がしてミカエルはうなずいた。
「死刑囚、か」
 少年だった影にとって、その言葉はどんな重さを持ったのだろう。喧嘩どころではなくなる重さを持っていたことだけは事実である。そんな世界に自分の部下を、自分の勝手で押し込んだのか、とミカエルは頭を掻いた。めずらしい動作である。
「悪かったな」
「はははっ、いまさら」
 影は笑っていた。
「誰も悪くありませんよ」
 話はこれで終わりだ、とミカエルは思った。コーヒーを飲み干して仕事に戻ろうと思っていた。だから影がこの話の続きをはじめたとき、少し驚いて聞き入った。
「話はこれで終わりではないんです。『俺は死刑囚だ』という言葉を聞いたとき、俺は…」


 明日にはあの残酷そうな形をした処刑台にぶら下げられるだなんて。そんな人に向かってなんて返事をすればいいのだろうか。でも俺は平気で喋り続けていた。子供だったので、大人以上に賢かったんだろう。
「俺、あんたをたすけるよ」
 もちろん、相手の返事はない。俺は笑って言った。
「できるわけないと思ってるんだろ? あした俺にたすけられて驚け」
 本当、生意気なガキだったんだ、俺。


「『死刑の執行は明日の昼だから、朝にもし出られたら俺があんたを助けるよ』って
 言ったんです」
 ミカエルは言葉を失いかけた。
「それは、死刑囚を脱獄させるつもり、だったのか?」
「ええ、結果的にはそうなります」
 影は、あっけらかんとしていた。本当によくわからない奴である。その影は言う。
「死刑囚だなんて言葉、俺には関係ありませんでしたから」


 俺を牢屋から出した後、ミカエル様はすぐに自分の部屋に帰ってしまった。もしかしたらまだ喧嘩を引きずっていた自分が馬鹿らしくなったのかもしれない。今となってはわからないし、そのときの俺にはどうでもいいことになってしまっていた。俺には仕事があったのだから。
 実は一晩中、脱獄の計画を立てていた。きっと間に合うはずだ、と心に言い聞かせながら俺は計画を実行させるべく、牢屋の廊下にある通気口へ体をすべらせた。子供だったからできる技だ。
 クモの巣だらけの通気口をはいつくばること一時間、途中でまったく目的以外の場所にでてしまったりと難航しながら、とうとう俺は鍵が置いてある部屋までたどりついた。
 ミカエル様が平気で鍵を持ち出せたのは、見張りがいなかったからだ。この牢屋では、囚人が入っている牢屋の鍵置き場には見張りがついているものの、囚人を入れていない扉の鍵置き場には見張りがついていない。見張る必要がないからだろう、どこの誰が好きこのんで誰もいない牢屋の鍵を欲しがるだろうか。入りたい奴なんているわけがないから、誰も見張っていなかったんだ。
 でも俺が必要だったのは囚人が入っている扉の鍵だったから、見張りがついていた。俺はその見張りの様子をしっかりと頭に叩き込むことに専念した。思っていたよりも鍵をとるのは簡単そうで、誰も鍵置き場の中のほうを警備しようとはしていなかった。外の入り口からなら不審者もくるだろうが、まさかこんな狭い通気口から入れる奴がいるとは思わなかったのだろう。
 手を伸ばしてみたが、鍵を開けるだけでは計画は成功しないと思って一度手を引いた。俺が助けようとしているのはきっと大人だ。通気口では逃げられない。ちゃんと準備をしなくてはいけないことも知っていた。
 そこで俺は通気口を通って、別の部屋へおりた。そこは台所で、食材を入れておく麻の袋がたくさん並んでいる。囚人用の食べ物を作る場所だと俺はさとった。人の話し声が近づいてくるので、ジャガイモをバケツの中へ移すと俺はその麻の袋をかぶって話を聞くことにした。
「今日の朝の分はいつもどおりの人数で、昼からは8人分減らしてつくるんだ」
 なんて言葉。今日殺されるのは8人だった。
 食事を運ぶ場所などもそいつらは話をしていて、それで俺が昨日入っていたのは9番目の牢屋で俺が助けようとしている男が入っている場所は8番目の牢屋だということもわかった。時計の鐘の音で、もうあまり時間がないことも俺は知った。
「やばい、急がないと…」
 人の声が遠のくのを確認して、袋から頭をだす。あたりを見回すと、ゴミの袋が目についた。料理ででた生ゴミを、城の外へ運び出すための袋だ。俺はそれがどこへ持って行かれるのかというのを見たことがある。城の外で遊んでいるときに何度かみかけたことがあったから。これをつかったら、きっとあの男を外へ連れ出せるに違いない。このゴミの袋が囚人のいる廊下にも置かれているのを見かけた。部屋から出るゴミなどを片づけるのに使っているのだろう。
 この調理場には、野菜が煮込まれる臭いがしていた。きっとスープだろうと思う。俺は昨日から何も食べていなかったけれど、それどころじゃなかった。何かひものようなものを探そうと調理台へ向かい、引き出しから、煮豚などをつくるのにつかうひもを引っぱり出す。料理をチラリとのぞくと、もうできあがっているようだった。細かいメニューは覚えていないけれども、最後の食事にしては少し粗末だなと思ったのは覚えている。
 俺はゴミを捨てるための布の袋に紐をひっかけると、その紐の端をもって通気口へ入った。袋を引っ張り上げ、引きずりながら鍵置き場へ急ぐ。扉を開けるには鍵が必要だ。
 鍵のある部屋を確認すると、見張りはひとりだけだった。しきりに外を気にしているので、俺はおりたって鍵をまさぐった。多少の音なら大丈夫そうだ。
「…8号室…」
 でも、鍵はそこにはもうなかった。
「…どういうことだろう…?」
 そのとき、鍵番の声がした。
「子供…? どこから入ってきた?!」
 俺は慌てて、通気口へ引き返そうとした。でも頭を突っ込んだときには足を引き捕まれて、床に転がるハメになった。
「おまえ、ここがどこだかわかっているのかっ!」
「知ったことか! それより、8番目の鍵はどうして…」
 聞くまでもないことが、そのとき初めてわかった。鍵番の手をすり抜けて俺は、昨夜閉じこめられていたあの部屋をめがけて走った。自分の閉じこめられていた部屋の、そのとなり。やっぱり昼も夜もそこは暗くて、ほとんど何も見えない。俺は大きな声で名前を呼ぼうとしたけれど、だめだった。そいつが死刑囚であること以外、何も知らなかったんだ。
 ただ鍵はすでに開いていた。俺は部屋に飛び込んでそいつを探したけれど、もうそこにはいなかった。処刑場へつれていかれたに違いない。
「昼じゃなかったのかよ、予定が違う…!」
 俺がどんな気持ちで処刑場へ走り込んだか、理解できるだろうか。俺にだってわからない、そう、何にも考えていなかったんだから。きっと囚人たちが連れて行かれたのと同じ通路を俺は走って、処刑場へ向かったのだろう。向かう途中、牢屋を出たとき、外の光が異常なほど美しく自分の体を照りつけてきたことだけが印象的だった。
 処刑場には、何人かの人間が集まっている。石を投げつけている人もいた。ひそひそと声を潜めた話し声や、わめきごえなどもそこにはあった。俺はその中へ飛び込んで何かを叫んだ。でも、なんて叫んだのかは定かじゃない。きっと、何も叫べなかったのかも知れない。
 ちょうど8人目の首に輪がかけられたところだった。すでに7人が吊されてもがいていた。
 こいつだろうか、俺と昨夜話をしてくれたのは…。話といっても、聞いたのはたった二言だけだったけれども…。
 立ちつくしている俺へむかって、その囚人がひとこといった。
「ガキか…? 泣くんじゃねぇ」
 俺の頬を、なにか暖かいものが伝って落ちていった。
「泣いてねぇよ」
 その瞬間、がたんと大きな音がして…それきりだった。
 それっきり。


「あとで知ったのですが、その死刑囚、さんざん悪いことしてたみたいですね。
 自分の欲のために何人も殺していました。…俺はきっと子供だっったんでしょう、
 自分に優しかったかどうかの判断で動ける年頃だったんです。
 あのとき脱獄させられなくて、今では本当に良かったと思ってます」
 ミカエルは、溜息だ。
「まったく、お前という奴は…」
 そのあきれたような声に、影は笑っていた。
「でも俺は今でもこう思ってるんですよ。
 もしこの世界以外にあの世と呼べるものがあるとして、
 その世界が天国と地獄というようなものに別れているとしたら、あの囚人は天国行きだと」
 ミカエルは、チラリと影を見た。少し睨むような形になったが否定するというほどのものではなかった。
 影はジンジャエールを飲み終わり、それを片づけてこう言った。
「でもたしかにあの夜、牢屋で泣いていた俺はたすけられたんです」
 影はそれきり黙ったまま、自分用にコーヒーを入れ、飲みながらいくつかの書類にサインをしてミカエルに渡した。感情の介入を許さない、機械のような動作で。
 外ではあの日のような美しい光が舞っている。窓辺で彼の口がわずかに動くのをミカエルは確かに見た。
「難しい問題は、過去のように片づけてしまうに限る…」
 悲しそうなのは、気のせいだろうか。



END
[ No,195 ランカーク ]