仮面の抒情詩〜Madrigal Of Dancing Liefs〜
今年も風は木の葉の色を琥珀に変えて、いつもの行事が街を賑わせる。街並みからランプの光がそそがれはじめ、色彩をセピアに変えたロアーヌのBARの前でカタリナは、とまどいながら右往左往していた。今夜は収穫祭、いつのころからか夜には仮装をして街を練り歩くようなお祭に変化した。
「モニカ様、は、はなしてくださいっ」
「まぁ、カタリナ! カタリナはわたくしのものですわ!」
モニカ姫はそう言って、カタリナの頬にキスをした。それに妬いたエレンが反対側の腕をとって叫ぶ。
「わたしも魔女にすればよかった〜!」
エレンは13日の金曜日にしか仕事をしないという、例の殺人鬼の服装をしていたので、確かに魔女モニカに軍配はあがりそうだ。
カタリナは「ヴァンパイア伯爵」の男装姿で、女性陣に囲まれている。今年はまだ髪が昔のように伸びていなかったうえ、もともと背が高めなのでこんなことになっているのだろう。剣術によって鍛えられた四肢を黒のスーツで包み、紐タイをしたその姿は独特の美しさがあった。確かに似合っている。トドメにちゃんとキバをつけているところが、恐らくはモニカ姫の策略であり、カタリナの今回のチャームポイントになのだろう。
ミカエル皇帝の影武者である青年は、オペラ座の怪人、ファントムの衣装に身を包んでそれを眺めた。もちろん顔を仮面で覆っている。
 お目当ての『クリスティーヌ(オペラ座の怪人のヒロインの名)』が男装だったのを見て、青年は思わずとまどう。エレンの仮装以上に自分のも合わないなと苦笑いだ。しかしまぁ…勝算はあるだろうと踏んで、さっさと前へ出る。
「一杯、つきあっていただこうか、伯爵」
青年の声をカタリナ達は聞いた。金色の髪と態度が全員を同じ予想へ導く。ミカエル皇帝だ。全員が、ミカエル皇帝の変装だと勘違いした。
 さっとカタリナの両腕が自由になる。カタリナは相手の青年を見つめた。名前を訊こうとしたのは全員同じだったが、わざわざ変装しているのにそれをするのは気が引けたのだろう。魔女モニカ姫が静かに言った。
「わたくしたち、別の場所で集まってますから」
 カタリナの片思いの相手を知っている彼女は、そういって皆を誘導して去る。
 青年には諸刃の切り札だった。今夜くらいは、ミカエルの仮面を使わずにすむと思っていたのに。
二人は待ち合わせでもしていたかのように店へ入り、カウンターに座る。青年は明るい声で言った。
「マスター、伯爵に赤い飲み物を」
 カタリナは青年を見た。さきほど外で掛けられた声とは別人のようだった。…ミカエル皇帝ではない?
「…あなたは、誰です? すいません、わからなくて」
「この仮装には自信あったんだけど…オペラ座の怪人って知ってるよね?」
 そんな台詞をひるがえして、青年はマタドールを飲んだ。すかされて、腑に落ちないカタリナは自分のグラスを飲み干した。今年できたばかりのワインだった。
とにかくこの青年がミカエル皇帝かそうでないか、それだけが気になって仕方がない…カタリナはどうにか質問をそっちにもちだそうと考える。
 カシスソーダを飲みながら、たずねた。
「あの、わたしはカタリナと言います、あなたは…?」
「ファントム」
そんな冗談。青年はマッティーニのオリーブを食べながら言った。
「名前で呼ぶと、しらける。気兼ねしたりするだろ君?」
カタリナはそれきり名前を聞かないことにした。青年の返答はどうとってもミカエル皇帝になり、取り方を変えればミカエル皇帝でなくなるようなものばかりに思えた。
「前に、あったことはあります?」
「あるよ」
 喋り方は似ていなかったが、髪、背、声、そして時々する仕種がどことなく似ている。仮面さえとってくれれば、わかるのだろうとカタリナは悔しくなった。しかし仮面を取れと言ったら、反則になるような気がして言えずにいた。
 ゲームのような会話が続く。オペラ座の怪人を名乗るにはこの青年の口調はやや皮肉屋であったし、ヴァンパイア伯爵を名乗るにはカタリナの態度は落ち着きに欠けていた。
「君、赤いのばかり頼んでるね」
「それは…ヴァンパイアですから!」
「いったい何人殺したの」
青年は身を乗り出して、仮面の下で笑ったようだった。
「次は俺のを試しなよ」
 カタリナは笑って、言った。
「今の台詞、どうとればいいんですか…?」
 目が悪いわけではないのに、カタリナが目を細めて時計の針を読んでいるので、青年はちょっと危険かなと思いマスターにアイスティーを注文した。
「それ最後にして会計して」
 ついでに「ゆっくりつくって」と態度でうったえると、マスターは笑ったようだった。はやく時間が過ぎるのは、楽しいからだと知りつつも…止まってくれない時間は残酷だ。
 青年はカタリナを仮面の下から見つめて言った。
「真面目な冗談だから、気にしなくていいよ」
もしかしたらかなり酔ったかも知れない…カタリナは深呼吸をすると椅子を座りなおした。
「…あなたの言ってること、難しくてわかりづらいですわ…」
 本気で言えない理由があるんだけれども…。いつか彼女かミカエル皇帝かを選ばなくてはならない時がくるかもしれない、そう思うと自分の抱いている感情が罪なように思われて、青年は口を閉ざした。
 アイスティーが運ばれてくる。
「それを飲んだら、帰ろう」
「ええ」
 クーっと一気にカタリナは飲み干した。もう自分との時間はいらない、ということなのだろうかと青年はうつむいたが、どうやら本当に酔っているらしく、冷たいお茶が美味しかっただけだと気づいてなんとなく救われた。
「いくら?」
 テーブルを離れて、青年はカウンターへお金を払いに出た。マスターは言う。
「酔わせてしまおうって魂胆でしょうけど、イタズラしちゃいけませんよ」
「したいのは山々だけどね」
 青年は笑っておつりをうけとる。
「部屋の中までは送らないつもり」
 おつりとともに返された明細を見て、質問をした。
「さいごのアイスティーって? まさかマスター…!」
 酒場には大きく別けて2種類のアイスティーが存在していて。そのひとつは普通のお茶なのに、あとのひとつはスピリット(ウォッカ・ジンなどのリキュ−ル)ばかりを混ぜた強いアルコールだ。なんでだろう、それが本当にアイスティーの味になるから時々、悪い人が弱い女の子に使う…まぁ、その、そういうものなんだ。
「カタリナさん! 起きて、起きろってば!」
 はい、はい、と返事はするものの、いまいち目が覚めていない。青年は溜め息をついて、カタリナを抱えると家まで運んであげる決心をした。
「ミカエル様…」
「俺は、そんな名前じゃない」
 外の空気は冷えていて、道を歩くと落ち葉がカサリと音をたててくずれた。人通りはまばらで、もうほとんどの人が家に帰ったらしい。
「すいません、違う名前でばかり呼んで…」
「いいんだよ、俺が悪いんだから」
 空は少しづつ白みはじめていた。夜が終わって朝になる…それまで起きていると、どうも一日を終わらせるタイミングを逃してしまったようで、ずっと昨日のまま今日を過ごさないといけない。何となく、寂しい気がしていた。
「でも、ミカエル様、ミカエル様じゃ…ないんですか?」
「…仮面を変えればね」
 青年は、カタリナの家の呼び鈴を押した。中では、真夜中のため最初反応がなかったが、やがて誰かが起きる音が聞こえだした。
「カタリナさん、立てる?」
 カタリナは扉につかまって、なんとか立つと、一晩中飲み明かした相手を見つめた。まだ朝になっていないのに、その髪が明るく際立っており、カタリナの恋する相手の面影を映し出しているようだった。
「お願いですから、仮面を一回とってください」
 カタリナは言った。
「でないと、わたしは…困ってしまいます。あなたはどことなく、
 わたしの好きな…片思いのひとと似ているんです」
 青年は首を振ってそれを拒んだ。どうしてそこまで顔を隠すのか…カタリナはよろめいて、勿論立とうとしたのだが結果としては…青年の体に寄り掛かった。予期していなかったのか、わざと抱きとめたのか、ぶつかるようにきたカタリナを受け止めて、青年の顔から仮面が地面へと音を立てて落ちた。
「やっぱりあなたは…!」
そのとき一陣の風が木の葉を巻き上げ、カタリナを包んだ。思わず目をつむる。視界が途絶えた瞬間に、ふっと体を支えてくれていた温もりが消え去る。
「酔ってるあなたを、騙すのなんて、簡単」
 憂鬱な声を最後に、青年の姿はもうそこにはなかった。
「まぁ、カタリナ。遅いので心配してたわ」
 玄関の戸が開き、そうして白んだ空はほとんど同時に朝を迎えていた。
今年も風は木の葉の色を琥珀に変えて、いつもの行事が街を賑わせる。今でも好きなあのひとの窓辺には、あの夜持ち去り忘れたままの仮面が、感情を隠して街並みを見つめていた。


[ No,195  影武者様 ]

-コメント-
小説「仮面の抒情詩」はハロウィンのイメージで書いてあります。最近小説を書くことをやめつつあるので、感想などいただけたら力になります。良い趣味なので続けていきたいのです。